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境神としての地蔵

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 この時期の民間信仰については、調査されていることがまことに少ない。そのためここでは域内町村史・集落史等を中心にその記述を整理し、おおよその全体を類推することにつとめたい。また、宗教に関する諸生活についても、大略同じ方法による。
 明治四年、のちの南一条(渡島道)西五丁目に地蔵が建立された。その後市街の発展にともない、南一条西十一丁目に移され、三十五年頃には南一条西十七丁目、大正六年頃には同十八丁目へと移った(円山百年史)。この移動は同史が記しているように、常に札幌区の市街のはずれに沿っている。また南一条通は、近世末からいわゆる銭函道として銭函から札幌へ通じる、すなわち札幌にとっての基幹道路であった。とすれば、おそらくこの地蔵は境神(サエノカミ)として設けられたものと思われる。サエノカミには外界から疫病・病害虫など災変の侵入を防ぐものと、この世とあの世の境神と二つあり、地蔵は後者の場合が多いが、ここでは立地からみておそらく前者であろう。この地蔵は「開拓地蔵」として現在は中央区双子山の地蔵寺に安置されている。また銭函道の境界に設けられたということは、千歳道の境界にも設置された可能性がある。

写真-14 開拓地蔵
(札幌市中央区双子山 真言宗地蔵寺)