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地域守護としての地蔵

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 二十六年、札幌村に中通地蔵尊烈々布地蔵尊、二十七年に丘珠村丘珠地蔵尊が安置され、それぞれ地域の守護地蔵尊として祀られた(札幌村史)。祭事については「僧侶に依って年々の祭事が営まれて」(中通地蔵尊)いる場合、あるいは祭礼を十月十日に行っていたが、大正十二年に烈々布神社が三集落合併し移転したのち、元の烈々布神社祭典の日をしのんで九月八日に改めた(烈々布地蔵尊)ものもある。少ない例ではあるが、地蔵が神社(あるいは地神)とも関わって地域守護の機能を持つものとされていたのであろう。
 このほか『下野津幌郷土誌』によれば、熊の沢の広島街道と東野幌への分岐点に、二十五年頃に親子地蔵が安置され、炭焼が毎年お祭りをしていたという。