北海道に導入された地神信仰は、主として徳島県、香川県および兵庫県淡路島のものが主体で、春は五穀の豊穰を祈り、秋は収穫を感謝する民俗的農業神として信仰されている。五角の石塔に天照大神を正面に刻み、他の四柱の神名は多少の変動がある。また自然石に「地神」と刻んだもの、あるいは木標の場合もある。道内では前記地方の出身者により導入されたのち、他の出身者による集落にも広く普及し、多くの開拓集落に創建された。
現市域に三十二年までに設置された記録は多くはない。三十年頃、篠路村に二つの地神が建立された。慣例どおり祭を社日(春分・秋分にもっとも近い戊(つちのえ)の日)に行っている。もう一つの例は札幌村で、二十五年に烈々布に、三十二年に中通に建立された。中通のは、最初は六角の木標であったとされている(札幌村史)。この二つの地神は大正期に入って烈々布神社に合祀されたが、地神が神社に吸収される例、地神と小祠を合して一社とする例、あるいは時には神社を廃して二つの地神を建立するなどの例が道内にはあり、札幌村の例も特に珍しいものではない。なお、庚申塔等については後述する。