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同業組合の勃興

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 一万六〇〇〇人の人口を抱えるまでに成長した札幌区には、明治二十年代商工業に従事する人びとを中心に同業者仲間の互助組織が次第に形成された。それらの多くは、「組合」、「親睦会」と称していたようであるが、代表的なものには次のようなのがあった。
酒造家組合、質屋組合、土工組合、開業医親睦会、石工職組合、大工職組合、小使親睦会、職工組合、代言人組合、洋服裁縫組合、蹄鉄工組合、古物商組合、畳職工組合、家根屋職組合、人力車営業人組合、菓子商組合、青物乾物商組合、車夫馬丁家僕懇親会、湯屋組合、薬種商組合、馬車貨物運搬組合、柾工組合、材木商組合、旅人宿営業組合、下宿屋組合、鍼灸営業組合、雑穀商組合、家屋建築組合、荒物乾物商組合、薬業組合、繭糸仲買商組合、車製造者組合、番頭連懇親会、雇入口入業組合、受負業組合、運送組合、理髪業組合

 このように、実に多岐にわたる同業組合が存在した。その目的の多くは一種の親睦組織であった。それゆえに活動状況は定期的に「寄合」を持ったり、親睦会を兼ねた運動会などを行ったりしている。さらに、親睦と並んで主要目的である同業者の利益保護にも努め、営業上の不便を取除くために条例改正運動を行ったり、営業料の統一をはかって生活の安定を目指すなどした。ところで、「小使」、「車夫馬丁家僕」といった当時どちらかといえば社会の底辺に位置すると目されがちな職業にある人びとまでが、「組合」、「親睦会」といった元来の上下関係とは別のヨコの連帯を求めている。これは第二節で触れた結社団体の結成と同様、同業意識を基軸に札幌を地域社会形成の場と意識しはじめた結果ではなかろうか。