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北海新聞の創刊

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 明治十年に東京から札幌へ移された活版所は、道庁設置後その官営事業貸下げ、払下げの方針によって小樽の山田吉兵衛に貸下げられた。山田はこれによって札幌に新聞を発刊することとし、菊地重平を名義上の社主として北海新聞社を創立し、新鞆三郎を編輯人として二十年一月二十日、毎月曜日発行の『北海新聞』を創刊し、六号以後は火・金曜日発行の週二回刊とした。同年六月からは北海道庁公布式新聞に指定されて助成を得、経営もより安定した。発行部数は創刊号で道庁買上三〇〇部を含め九〇〇部、判型はタブロイド判四頁建てであった。
 記事の内容は、官報、北海道庁録事、北海新聞(社説)、雑記、寄書、小樽・札幌の諸物価、それに広告欄などから成っている。ただし社説については、後述する発行停止処分を受けた後、四九号を最後にみられなくなった。そして同年九月三十日付六七号をもって『北海新聞』の題字を打ち切り、『北海道毎日新聞』に引き継がれた。