自治制の実施は本道の歴史に一大新紀元を開く者なり。意ふに札幌の地たる創始以来三十年、毎に本道の首府として十一洲に雄視す。札幌実業協会が実業の発達と自治の完美とを期せんが為めに、札幌実業家によりて斯く組織せらるゝは、一道先進都市の本分として、深く其成立の健全ならんことを望まざるを得ざるなり。
(道毎日 明32・9・17)
区長をめざす対馬の式辞であるから、いささか誇張を含むとしても、長年の夢であった札幌区の発足を目前にし、彼の期待感がそこに漲っている。
『市史』第二巻に続く本巻は、〝一道先進都市〟をめざし、札幌の住民が〝実業の発達と自治の完美〟に懸けた軌跡を概括する。すなわち明治三十二年十月一日北海道区制にもとづく札幌区が誕生し、大正十一年(一九二二)八月一日市制へ移行する間、二二年一〇カ月あしかけ二四年の歴史を区制期とし、一時代を画して本巻の主要な内容とした。しかし事項によって前後の経緯に及ぶことがあるのは、区制期の設定が一つの方法であり、すべての事象をこの時期区分で取捨することはできないし、前後巻の継承展開を大切にしなければならないからである。また、区制期の事象であって次期により深く関わるものは第四巻で一体的に取り上げる場合もある。区制後期に生じた第一次世界大戦の影響による事象の中には、次巻で総合的に取り上げる方がより適切と考えられることが少なくないからである。
この間に二つの大きな戦争を体験し、これにより札幌の人たちが受けた影響は少なくない。明治三十七、八年の日露戦争は、日清戦争に比べはるかに大きな影響を札幌の人たちに与えた。動員兵力は一〇〇万人を超え、戦死八万、戦傷三七万人という大規模な戦争であったから、札幌からも多くの兵士を出征させなければならなかったし、戦費の増税、軍費献金、債券割当による経済負担が増加する一方で、北海道への国費投資は大幅な削減を受け、区の財務を圧迫した。戦後、南樺太が日本の領有に帰したのも大きな変化であった。
大正三年に始まる第一次世界大戦は日露戦争のように戦場で人材を失う損失は蒙らなかったが、ロシア革命の余波を食い止めようとするシベリア、北樺太への出兵は、また道民の負担となった。世界大戦が北海道の産業、経済に及ぼした影響は甚大で、世界と結び付いた北海道を意識づけるようになった。
区制期は二十世紀の幕開け時である。それは日本の資本主義社会が成立し展開する四半世紀にあたり、その下に北海道は組み入れられ、「内国植民地」的性格を色濃く持っていた。第一次世界大戦後の北海道を脱辺境社会と説明するのは、北海道そして札幌の人たちがいかに「内地」化していくか、近代都市に成長していくかの道程であり、本巻が対象とした時期なのである。