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独立村問題と豊平市街の札幌区編入

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 三十七年十二月二十五日に豊平・月寒・平岸の三大字村を「独立村」とする組合村設置の申請が、村会議長宮城昌章(村長)より道庁宛に出された(豊平町史)。それによれば「独立村」とする理由につき以下のように述べられている。
本村ハ……常ニ支吾軋轢ヲ生ジ、遂ニ本道中難治村ノ称ヲ受クルニ至リタルモノ、蓋シ民情風俗業体ノ異ナルニ従ヒ各利害関係ノ斉シカラザルニ基因スル儀ト相信ジ候、翻テ本村ノ状況ヲ観ルニ大字豊平村ハ商家連絡相櫛比シ稍々市街ノ体ヲナスモ、他二村ニ至ッテハ大概ネ農ヲ以テ業トシ、随ッテ人情風俗大ニ趣キヲ異ニシ其民度発達上ノ遅速生計ノ程度ニ於テモ亦甚シキ差異アル……

 ここでは端的に述べられているように、「独立村」のねらいは〝難治村〟の解消であった。豊平村の商業地区、月寒・平岸村の純農村的性格からくる「利害関係」「人情風俗」及び「民度発達上ノ遅速生計ノ程度」の差異が、〝難治村〟となっていることを指摘している。また別に、「各大字ノ利益自ヅカラ異ナルモノアリ、到底協力一致自治ノ発達ヲ計リ公益ヲ増進スル如キハ得テ望ムベカラズ」と明言しているように、三大字村の「協力一致」は不可能であり、自治確立の上で独立が不可欠という判断にたっていた。
 このような背景があって、札幌区の区域拡大に当たり、豊平町では大字豊平村の札幌区編入を積極的に推し進めていった。四十一年十二月の豊平町議会では満場一致をもって編入を決議したが、その理由は商業地域の豊平村が農業地域の月寒・平岸村とは、「人文発達ノ点ニ於テ生活及経済ノ状態ニ於テ全然基本拠ヲ異ニシ合同自治ノ目的ニ適ハザル事」、あるいは豊平村と札幌区との関係が、「唇歯ノ関係ニ於テ其ノ運命ト沿革トヲ経、以テ今日ニ至レルモノニシテ人情風俗ハ勿論人文ノ程度生活ノ状態ニ於テ毫モ相異ル所ナキノミナラズ、経済関係並ニ生業関係ニ於テ寸時モ離ル可ラザル重大ニシテ且ツ密接ナル利害ヲ共有スル……」と述べ(豊平町史)、政治・経済・文化などあらゆる面にわたり、両者の利害・成果・性格などが異なり、協調していけないことが強調されている。
 この結果、大字豊平村の一部一三六町(戸数五九七戸、人口三八八〇人)が、四十三年四月一日に札幌区に編入となったのである。