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生産総額の推移

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 明治期までの白石村は、純農村といってよいほどであったが、大正期に入り工業が伸長してくる。表4は大正四年から十一年までの白石村の生産総額の推移を示したものである。表からはまず、当時の世界大戦の影響を受け八年まで農産額が急激に上昇していることがわかる。〝豆成金〟が輩出したのもこの時期であるが、白石村の場合、約八割が米作収入によるものであった。水稲の作付面積は近郊町村随一の約一〇〇〇町歩に及んでおり、なんといっても水稲が農業の中心であった。
表-4 白石村生産総額
農産畜産工産合計1戸当たり
割合割合割合
大4232,957円81.1%24,545円8.5%29,850円10.4%287,373円362円
 5297,54581.832,2608.933,7779.3363,596457
 6398,76281.533,1926.837,1307.6489,104602
 7810,74378.746,7414.5173,23616.81,030,7701,255
 8947,98676.756,5514.6231,72718.71,236,3191,461
 9499,27742.3209,79717.9436,33939.51,172,8871,348
10872,81666.296,8107.3299,81922.81,317,4951,406
11681,81753.9110,2958.7473,29037.41,265,8871,230
1.林産,鉱産は省略。
2.大正4~8年は『白石村誌』,9~10年は『石狩支庁管内要覧』より作成。

 表からは続いて七年以降に、工産額が大幅に伸びてきていることが判明する。そして割合も四〇パーセント近くに達しており、その一方で農産額は五〇パーセントほどを占めるに過ぎなくなっている。また、畜産額は九年を除き割合には大きな変化がないものの、コンスタントに伸び続けてきていたことがわかる。
 産業構造の変化をもたらした最大なものは工業の伸長であったが、白石村の従来の主な工業は、明治十七年に操業された鈴木煉瓦製造場によるレンガ生産であった。この時期にいたると、四十一年に白石耐火煉瓦会社が創設され、翌四十二年からレンガ・モルタルの生産が開始された。また大正五年に厚別に日本麻絲会社厚別工場がつくられ、六年二月から操業している。従業員は一七〇余人に及ぶ大規模な工場であった。白石村の工産額が七年以降に急上昇したのは、同工場の出荷によるものであろう。厚別には六年二月に厚別酒造合名会社も創設されていた(白石村誌)。畜産額の増加は宇都宮牧場のような大規模牧場の他に、農家の副業によるものが多かった。