馬産や酪農が進展していくなかで、事実上の農家の指導機関として畜産組合が設立をみる。札幌においては明治四十年に札幌外四郡産牛馬組合が設立されている。当初は馬産に力点がおかれ、従来から行われていた札幌家畜市場のせり馬事業を継承することとなった(北タイ 明40・9・24)。組織的には札幌支庁管内を一六区に区分して区長を置くとともに、各町村に六人以上三五人以下の枠内で事務取扱嘱託の形態で部長がおかれ、総計で二四三人にのぼった(北タイ 明41・2・11、9・13)。組合員数は二二九二人であった(北海道庁統計書)。事業としては馬市場を開催するほか、真駒内種畜場から貸付を受けた種牡馬による種付けと種牡牛馬の配当を行うことであった。札幌支庁の特徴は、北海道内で唯一産馬組合と産牛組合が分離された点である(北タイ 大2・4・18)。大正二年に産牛組合が組合員二七五人で設立され、飼養牛は一九三五頭に上っている(北タイ 大2・6・24)。大正七年には組合員数が一一二六人にまで増加をみせているが、畜牛生産者(農家)は四五一人、飼養者(搾乳業)が六七五人となっている。その飼養頭数は四六七九頭であり、牝牛が三七一三頭、牡牛が九六六頭となっている。生産に関しては、生産牛が一一八五頭(七万一一〇〇円)、牛乳が一万八三八一石(二五万二八六〇円)、バターが三万九五〇八斤(三万四八〇〇円)であり、総生産額は三五万八七六〇円となっている。事業としては、種牡牛二一頭を飼養し、種付けを行い(四九一頭)、家畜市場を二回開設している。また、家畜用塩の共同購入も行っている(一二六七円)。講習会については、牛馬組合との共同で実施している(北タイ 大7・11・4)。また、大正時代においては産業組合の事業基盤が整っておらず、畜産組合がそれに代替して低利資金の借入を行い、牛舎・サイロ・尿溜・牛乳置場などの資金を積極的に貸し、道庁の補助を受けて、アメリカ、カナダより基礎牛の導入を図り、その組合員への貸出しを行って、畜牛の改良・増殖をはかっている(回顧録)。