明治三十九年三月三十一日鉄道国有法が公布され、ついで五月二十四日臨時鉄道国有準備局官制が公布され、鉄道の国有化事業が開始された。さらに九月二十一日逓信省告示第二九三号で、北海道炭礦鉄道の買収期日が十月一日と決定され、同日札幌鉄道作業局出張所は廃止され、北海道鉄道作業局出張所が設置されて、炭礦鉄道の事業を引き継ぐことになった。北海道鉄道作業局出張所は、総務部(庶務課・会計課・倉庫課)、運輸部(運転課・営業課)、工務部(保線課・建築課)と旭川・岩見沢・釧路の運輸・出納・保線各事務所などで構成されていた(以後の組織変遷については『北海道鉄道百年史 上』参照)。
翌四十年三月十二日、勅令第二六号により帝国鉄道庁官制が公布され、作業局が廃止された。そして三月二十五日逓信省告示第一七一号で北海道帝国鉄道管理局が設置されることになった(四月一日設置)。さらに同日同省告示第一七三号と第一七五号で、建設事務所の設置と道内各事務所の位置や所管区域が決定した(北海道鉄道百年史 上)。
ついで四十一年十二月勅令第二九六号で鉄道院官制を公布し、鉄道院を設置し、札幌に北海道鉄道管理局を設けた。大正二年(一九一三)五月勅令第七四号鉄道院官制改正により全国を四管理局(東京・神戸・九州・北海道)として、北海道と青函連絡航路は北海道鉄道管理局の管轄となった。その後官設私設を問わず鉄道路線や業務は増加し、全国的な管理体制はこの四管理局体制が、大正四年六月五管理局(東部・中部・西部・九州・北海道)体制(勅令第九七号)、大正八年六管理局(東京・名古屋・神戸・門司・仙台・札幌)体制(四月勅令第一六七号、五月内閣告示第六号)と業務拡大に対応していく。
この鉄道業務の拡大による管理体制の整備は、さらに大正九年五月十五日勅令第一四四号で鉄道省官制を制定させる。同時に勅令第一四五号鉄道局官制の公布、さらに十八日の鉄道省告示第一号で、前記と同名の六鉄道局体制となり、北海道と青函連絡航路は札幌鉄道局となった(北海道鉄道百年史 上)。