前田農場小作人相互規約 | |
小作人中ハ国法ヲ遵奉シ互ニ信義ヲ重ンジ緩急相扶ケ困難相救ヒ一致同心勤倹以テ業務ヲ精励セン為メ左ノ各条ヲ規約シ置ク | |
第壹条 | 小作人中若シ不可避ノ事由ニ由リ居小屋ヲ焼失及倒家シタル時ハ各戸ヨリ一名宛居小屋設方手伝シ且ツ見舞トシテ金貳拾銭宛罹災者へ与フル事 |
第二条 | 小作人中死亡者アリタリトキハ其近隣ヨリ所要ノ人員ハ必ズ手伝スル事 但伝染病ナル時ハ此限リニアラズ |
第三条 | 小作人中若シ伝染病ニ罹リタル者アルトキハ互ニ交通セザル事 但医師ノ指定ニ依リ差支ナキモノハ此限リニアラズ |
第四条 | 小作人中若シ病気ニ罹リ不得止耕耘ニ差支フル者アルトキハ無賃ニテ手伝スル事 |
第五条 | 前各条手伝ノ時若シ手伝ヲ受クル者ヨリ飲食ヲ供スト雖モ決シテ各受ケザル事 |
第六条 | 年一回乃至二回御僧ヲ招待シ御説教ヲ聴聞スル事 |
この契約自体は、小作人たちが「互ニ信義ヲ重ンジ緩急相扶ケ困難相救ヒ一致同心勤倹以テ業務ヲ精励」することを目的としたものであり、相互扶助的色彩が強い規約であった。しかし三十五年には、小作人の統制・管理を強化するために、前記の「小作取締規則」第六条にもあるように、小作人の互選による小作総代人制度の徹底を目指して、「小作総代人心得」なるものを制定したのである。
この心得によれば、二人置かれる総代人の最大の使命は、農場管理者の指示によりその受持区域内の「小作人ヲ取締ル」点にあり(第一項)、小作人側の要望を農場側に伝える機能を持つとはいえ(第四項)、それはきわめて副次的なものにすぎなかったのである。
以上みてきたように、前田農場の小作人たちは、農場側との小作契約書のほかに「小作取締規則」の適用を受け、さらに小作総代人を通してその厳重な統制の下に置かれていたのである。
次にその小作料であるが、三十九年度で開墾小作の場合には、その応募者に対して一戸当たり三〇円の渡航費を支給し、農場内では小屋と反当たり三円の開墾料を給与した。そして茨戸本場の場合、小作地を七等級に分け、一等は一反につき五〇銭の小作料で、以下等級の上がる毎に六〇銭、七〇銭、八〇銭、九〇銭、一円、一円二〇銭となっており、これを毎年九月に四分、十一月に六分の割合で納入する規定となっていた。また、軽川支場の場合は全体が一〇等級に分かれていて、一等は一反につき四〇銭、以下等級の上がる毎に五〇銭、七五銭、八〇銭、一円、一円二〇銭、一円五〇銭、一円六〇銭となり、最後の九等、一〇等は宅地小作料であった。
以上前田農場の事例を中心として、地主小作関係の根幹ともいうべき小作人の管理体制の実態について述べてきたが、このような小作人に対する厳格な諸規定は、この前田農場に限らず当時の北海道の農場ではいわば普遍的な規定であったといえよう。たとえば小作総代人制についてみれば、「札幌支庁管内ニ於テ篠路村ニハ小作人等ハ総代ナルモノヲ置キ地主ト小作人トノ交渉ノ任ニ当ラシムル例アリ」(北海道庁 北海道貸地農ニ関スル調査)と述べられており、この札幌地方では一般的な存在であった。なお、前田農場の反当たり三円という開墾料は、全道的にみた場合、「一反歩ニ対シ三円乃至五円ヲ普通トス」(同前)とされているので、ごく平均的な額であったといえよう。