明治三十六年十一月十五日、『平民新聞』が創刊された。八月の講演会で、幸徳秋水から創刊計画を聞いていた竹内余所次郎は、早速購読者になった。麦酒会社の製瓶工であった山本保馬も創刊を待ち受けていた一人であった。
『平民新聞』の購読者は、竹内余所次郎や農学校生真島政吉のような直接購読者と、庁立札幌高女生の山田ミツや農学校生足助素一のように書店経由で購読する者に分かれていた。山田ミツの場合、親戚の家に下宿していたので直接購読を避けた。
『平民新聞』は、三十七年七月当時の北海道における直接購読者数を九七人と報道しているが、札幌では書店購入を加えて五〇人を超えていた。