かつての民権論者外川水哉の発行する『北世界』は、札幌平民俱楽部の集会に出席するものは「警察にて注意人物となす」という報道を行った。
札幌平民俱楽部集会を主催する滝川勇吉は、三十八年九月十日に札幌座で開催された講和問題道民大会で、「革命を叫べ」と題して過激な演説を行い、九月十六日の小樽の講和問題演説会でも「国民の怨府」と題して政府攻撃を行ったが、いずれも中止されなかった。
滝川は『北世界』に次のような文を発表して、警察の社会主義者取締に抗議した。
予輩先づ汝(警察)に告げん、予輩は汝が注意人物として待ちつゝある直言の読者にしてシカも確信を以て社会主義を抱持するの一人なる事を、然れども汝怯憶なる〇〇輩驚くを止めよ、日本の社会主義者は決して汝等の身体に向って拳銃匕首を擬するものに非ず、亦彼の虚無党若くば無政府党の如く当路者を要撃し政府を顚覆せんとするが如き過激惨烈なる革命を企つるものにも非ず、故に汝須らく意志を安んじて可なり、
予輩は今の時に於て神経のみ過敏にして理解力の欠乏せる頭脳を有する汝輩に向て社会主義の何ものなるかを説示するは如何にも徒労なるを知る、然れども汝が錯愕するの状余りに気の毒なるを以て茲に聊か予輩数輩会合するの趣旨を示さん乎、趣旨や目的や実に簡単なり只一言にして尽く、曰く
社会を研究して其活態に通じ以て吾人々類が当然享受すべき権利の獲得を期すに在り只之のみ豈他あらんや、
予輩は今の時に於て神経のみ過敏にして理解力の欠乏せる頭脳を有する汝輩に向て社会主義の何ものなるかを説示するは如何にも徒労なるを知る、然れども汝が錯愕するの状余りに気の毒なるを以て茲に聊か予輩数輩会合するの趣旨を示さん乎、趣旨や目的や実に簡単なり只一言にして尽く、曰く
社会を研究して其活態に通じ以て吾人々類が当然享受すべき権利の獲得を期すに在り只之のみ豈他あらんや、
(北世界 明38・10・1)
滝川は、このように警察に対してかなり高圧的な言い方をしていた。ところが彼はもともと警察官で、三十二年に岩内の巡査を退職し、札幌にやってきた人物であった。三十八年八月二十日の住所が北一条西三丁目、九月十日の住所が北二条東二丁目となっているから、かなり転々としていたらしい。四十年五月、北海道庁警部に採用され、函館警察署に勤務する。ところが六月には宗谷支庁詰の属に転じ、九月に沓形村長となり、四十二年には宗谷村長に転じ、四十四年には枝幸村長となり、大正二年(一九一三)一月、香深村長に任命されたが、赴任せず退職している。
滝川勇吉は、函館区にも宗谷支庁にも、村長として在任した村にも履歴書を残さなかった疑問の人物である。