夕張で、大日本労働至誠会の機関紙『至誠』を編集していた大崎正吉は、明治三十九年に札幌に移り、新聞を発行した。彼は東京の「革命評論」社と近い関係にあった。
四十年九月には、吉田辰蔵が社会主義を主張する『日本実業新聞』を発行した。その年の十一月には、北海タイムスをやめた井口伝が『北海道平民新聞』を創刊したが、たちまち発禁になってしまった。井口伝はもともとはキリスト教社会主義者であったが、北海道に来てから生活が荒れ、一流旅館に「投宿御断 井口竜城殿」と貼紙されるほどであった。各地で恐喝を働き、社会主義者の評判を落とした。