明治四十年の暮、西川光二郎と添田啞蝉坊が社会主義宣伝のため札幌にやってきた。西川は旧知と昔話に花を咲かせ、主義の宣伝に消極的であったが、添田は街頭に出て積極的に宣伝した。二十九日の札幌亭の演説会は、啞蝉坊の人気もあって三〇〇人(啞蝉坊によれば五〇〇人)あまりの人が集まった。
弁士 進歩と貧困 添田啞蝉坊
朝日は八銭になった 碧川企救男
高利貸と社会主義 貴志忠憲
社会腐敗の原因 西川光二郎
奇なるかな現社会 竹内余所次郎
家具店三宝屋を経営していた脇屋慎蔵が演説会を後援した。脇屋は郷里の新潟で自由民権運動に身を投じ、その後足尾銅山で労働者となり、転じて樺戸集治監で看守を勤め、札幌に移り下宿(河野常吉が住んでいたことがある)や古物商を営み、さらに三宝や家具、飾棚などの販売店を開き、かたわら政友会札幌支部の反主流派として活動していた。鉱夫体験を持つため労働者に同情し、社会主義運動にも物質的な支援をしていた。