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麗沢会結成

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 八年二月、明治以来の社会主義者であった塚原辰吉、島崎庄一郎、高田次作らが、小樽で思想団体「小樽啓明会」を結成した。主要な人びとはたちまち特別要視察人にされてしまった。会員の一人であった北海道帝国大学の学生早川三代治特別要視察人に編入されてしまった。
 「小樽啓明会」の有力会員であった出口豊泰小樽新聞の記者であったが、九年に新聞社をやめ、北海道拓殖銀行に勤めることになった。出口は北海道石炭鉱業会の書記であった小笠原栄治とともに、九年九月十二日、思想団体「麗沢会」を結成した。会員は銀行員、医師などの知識層一〇人で、拓銀本店に事務所を置き、定期的に会合した。出口は婦人問題に関心があり、小笠原は労働問題に関心があった。小笠原は前年、国際労働会議に出席していた。大正七年に労働者の状態を重視した『北海道鉱業概要』をまとめた人物である。