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青年団の活動

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 この全道の青年会連合大会に関わって特筆すべきことは、官製の青年団が多数つくられたことである。札幌だけでも、十月二十九日には札幌桑園青年会の発会式があり、十月三十日には西創成分団、中央創成分団、豊水分団、東分団、東北分団、北九条分団、山鼻分団、豊平分団の八分団を統合して、一三歳以上二〇歳以下の男子で組織する札幌区青年団が発会した。また、円山青年会も訓令の趣旨を受けて従来の組織を変更し円山青年団と改称し、十一月二十一日に円山小学校で約九〇人の参会者のもと、発会式を挙行した。
団長に渡辺小学校長、副団長に福井軍人分会長を推挙、評議員十四名幹事十二名は夫々団長の依嘱選任により決定、式に移り君が代合唱、戊申詔書捧読、団長の告辞、来賓祝辞、団員総代答辞ありて閉式、夫より一同打揃ひ札幌神社に到り、神前に森厳なる宣誓式を行ひ、四時半陛下の万歳を三唱し散会せり
(北タイ 大4・11・24)

 ここからは、学区の小学校長、在郷軍人会分会長といった名望家が役職についたことがわかり、発会式の儀式過程には、君が代、戊申詔書札幌神社といった国民統合の装置が出揃う。
 大正期、札幌区の青年団の活動の事例として山鼻分団をとりあげる。四年十二月の「綱領」としては、「忠君愛国ノ至誠ヲ効スニ必要ナル徳性ヲ養ヒ知能ヲ研キ、且ツ其努力奮闘ニ耐ユル勇気ト体質トヲ備ヘンコトヲ期ス」と定められた。このように「忠君愛国」「徳性」の涵養に重点を置いた綱領は、明治期一般にみられる文化活動に力点がおかれた青年会の綱領とは大きな隔たりがある。また分団規程の「目的」として、活動の内容を次のように定めた。
 毎年元旦早暁札幌神社ニ参拝スルコト
 毎年春季弐回、夏季壱回、秋季弐回、基本財産地ニ於ケル植樹事業ノ労役ニ服スルコト
 毎年九月十三日乃木会ヲ開クコト
 名士ヲ聘シ講演会ヲ開クコト
 団員ノ演説又ハ討論会ヲ開クコト
 遠足又ハ武術会ヲ開クコト
 団員中不時ノ罹災者、死亡、入退営者等ニ対シテハ慰問、会葬、送迎等相等ノ情誼ヲ悉シ篤行者アルトキハ之ヲ表彰スルコト
 団員ノ修養ニ関スル図書及雑誌ヲ蒐集スルコト

(阿部家文書 一八八三)