この女子駅員の仕事も、まさに文明開化の明治が生んだ新しい女性の職業であった。北海道の鉄道が明治三十九年、北海道炭礦鉄道会社の手を離れて国有鉄道になった時、すでに旅客事務を取扱う女子事務員がいた(後述)。事務以外の駅の出札係や電信係といった、いわゆる現業業務への女子の進出は、四十三年の北海道鉄道管理局雇員採用規程や傭人採用規程によったものであろう(北海道鉄道百年史 上)。
大正十年段階で、出札係八人、電話交換手一四人、電信係二人、女子駅夫一〇人と三四人もが勤務していた。採用条件は、一六歳以上、身体強健、高等小卒以上を雇員とし、それ以外は傭人とした。勤務は男子駅員並に八~一二時間交替制、深夜の仮眠もできたが、不規則な激務をこなしていた。賃金は当初出札が九〇銭、交換が七五銭、駅夫九〇銭の日給であったが、年功加俸制をとっていた。勤続年数は長くて七年、平均二年半といったところで、駅夫は二五、六歳の配偶者のいる家計補助的というのが多かったようで、雇う側は女子駅員の力量を女二人をもって男一人分とみていたが、力量においてさほど違いはなかったようである(北タイ 大10・2・9)。