札幌区役所では札幌区の米価調節と廉価販売を目的に、八月二十二日札幌区匡済会を組織した(会長阿部宇之八、副会長大瀧甚太郎)。ここでは、主食品である米・麦の販売券を交付したり、米価調節救済資金の配分を区会の協議を待たず実行することが可とされた。匡済会は二十七日より業務を開始し、毎日午前八時より午後八時まで区役所内において米・麦の販売券を希望者に交付した。交付を受けた者は、最寄りの米穀店(白米、卸小売のいずれでも可、区内二六店)に持参して現金を払込みのうえ、券面記載の品物を受け取れるようになっていた。販売量は一戸につき一回外米五升以内、内地米希望者は白米四升と挽割麦一升、白米二升と挽割麦五合、白米一升と挽割麦二合五勺のいずれかとなっていた。この方法は、内地米食用者に限って米の補給策として麦の代用を奨励するという趣旨から出たもので、販売価格は当分の間、三等白米一升三五銭、挽割麦一升一二銭、外米一升二〇銭とされていた。この価格は市場価格より一石につき一〇円は廉価で、その差額は前述したように篤志家の米価調節救済資金で賄われた。八月以来の寄付金総計は一万八七〇〇円に達していた(北タイ 大7・8・27)。さらに内帑金(ないどきん)(皇室よりの下付金)配当額四二四七円余も匡済会資金となった(札幌区事務報告)。なお、匡済会発足と同時に札幌白米卸商による「五の日会」の廉売は閉鎖された。
二十七日に開始された匡済会の米・麦廉売は、九月二十六日をもって買入米の売り尽くしにより打切りとなった。九月十五日現在で販売券交付者は一万七一〇六人、米六八〇石七升、麦一七一石一升七合五勺にのぼった。うち五升券交付者は一万六九一一人、二升券一六八人、あとは小口買いで、大方は労働者階層の人びとであった(北タイ 大7・9・17)。九月に入って、外米が道内にも大量入荷するようになり、十四日現在一万六〇〇〇袋が各地に配布された。これを受けて道庁では十二日付で道庁訓令を発し、外米混食奨励(後述)をまず道庁吏員から率先してすすめた(北タイ 大7・9・15)。外米の大量出回りを受けて、札幌区匡済会でも九月二十三日から外米廉売に踏み切った。開始以来非常な人気で、十月二十二日までに五七一石六斗一升、延べ配給人員は二万一六〇〇人にものぼった(北タイ 大7・10・24)。