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時計台への移転

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 明治四十四年三月の評議員会では、こうした施設の不十分さを解消するために、札幌農学校の演武場であった時計台へ移転することを決定した(北海之教育 第二二〇号)。これを所有する札幌区の認可を経て、同年七月に事務所とともに移転した。移転後も閲覧者数は増加する傾向にはなく、むしろ減少し停滞気味であった(表7)。『北海タイムス』(大1・12・24)はその様子を次のように活写している。
 書物は数にしては幾万冊を数へるであらう。併し多くは陳腐の古書と雑誌新聞のみで新刊物は余り見受けぬ。其れも其筈毎月購入すべき予算は僅々で新雑誌購入の余裕もないとの事、寂しげに二人の学生が受験の参考用か歴史を繙いて切り(ママ)に抜き書きをして居る。書記の松山老公に聞けば冬枯れの今日此頃は、一層閲覧者の足遠く日々四五人は関の山。出物も多くは地理歴史理科位で実に名計りの図書館で一向振はぬとの事。去らば何曜日が一番閲覧者があるかと訊ねたら、左様先ず日曜日の午前位で昨年の暮より少し計りは多い様だが、此雪空では足の運びも稀だと長息して居った。札幌唯一の図書館の景況は先ずこんなものである。