ビューア該当ページ

明治三十年代の演劇界

782 ~ 783 / 915ページ
 この時期『北海タイムス』で、札幌の演劇状況全般について大きいスペースで論じられているのは今のところ二回見出されているので、その大略を紹介したい。一つは明治三十四年十一月下旬に三回連載された「札幌の劇界」(「てきせん」の署名による)である。この記事はまず全国的な状況を演劇改良・刷新運動と、川上音二郎らの壮士劇の衰退について述べ、札幌については、まず新開都市ゆえの好みの多様性を指摘したのち、「我が札幌人士の演劇眼は主として壮士劇に向って其の嗜好を傾けつつあると思はれる」(11・28)とし、札幌等で当てた劇団は日栄団笠井栄次郎一座、〇〇(ママ)団、小林定之一座、福井茂兵衛一座、日日団原一座等の壮士劇で、旧演劇は鶴之助猿之丞紫好の合同一座がやや人気を得た以外はほとんど失敗した。すなわち結論として「札幌人士の対劇観は正しく京坂(ママ)人士の夫れよりも凡そ五七年を遅れたる幼稚の境涯にある」(同前)と厳しく批判した。
 もう一つは三十七年一月一日付に「もずう」の筆名で記された「過去一箇年の演劇界」である。ここでは表2のように、三十六年中の上演劇が一斑として掲げられ、このうち新演劇は一五、旧演劇は一〇とし(この数字は表の注2を加えていると思われる)、中でも市川八百蔵一座と市川寿美蔵一座については「破天荒の興行」としている。しかし川上音二郎等から分かれて新派の基を築いた伊井蓉峰一座の興行は意外にも大失敗であった。これを含め、同論評は「本道人士が尚ほ未だ岩見武勇伝・尼子十勇士等を愛するの境域を脱せざるが如く、演劇に於ても亦十年以上の夢を繰返しつゝあるなり」と、三十四年同様観劇における区民の意識の遅れを強く指摘している。
表-2 明治36年中札幌において上演された演劇一斑
劇場劇団演目
1大黒座武知元良一座名誉の軍人
札幌座小泉三郎一座新世界
2大黒座原良一一座美人の生埋
札幌座市川寿美蔵一座千代萩
3大黒座水谷重太郎一座心の駒観音利益
札幌座某女俳優一座累土橋
4大黒座青木千八郎一座閻魔の彦
札幌座市川寿美蔵一座幡隨院長兵衛
5大黒座市川高麗三郎一座塩垣多助
札幌座市川市十郎一座石川五右衛門
6大黒座市村栄次郎一座猿猴小僧
札幌座森操一座忠と孝
7大黒座市川八百蔵一座曽我対面
札幌座渋井アソブ一座按摩の強請
8大黒座坂東多雀一座堀部安兵衛
札幌座市川八百蔵一座千代萩
9大黒座望月正義一座武士根性
札幌座渋井アソブー座(……………)
10大黒座望月正義一座(……………)
札幌座伊井蓉峰一座塩原多助
11大黒座中村米三一座鬼一法眼
札幌座藤村若月一座玉突権次
12大黒座中村米三一座(……………)
札幌座藤村若月一座(……………)
1.外に上演月,演目不明の田宮秋津等の合併興業あり
2.『北海タイムス』(明37.1.1)より作成

 また三十七年十二月には、札幌座曽根一座によって「ハムレット」が上演されたが、新聞は「其勇気や愛すべきも、成功せざるや論を俟たざるべし」(北タイ 明37・12・15)と、ここでは観劇の側ではなく、むしろ演者の側の問題としての把え方がなされている。
 このほか、三十七、八年には、他の分野と同じく、日露戦争関連のものがある。まず三十七年三月に軍資献納演劇が行われ、同年五月には戦勝祝賀演劇が行われた。この祝賀演劇は、地元のスタッフによって行われたという貴重な意義を持つが、これについては後述する。同年七月には「名誉の軍人」が上演されている。