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音楽諸団体の結成と活動

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 前記のように札幌では各種の音楽会が開催され、さらに東京等在住音楽家の来札演奏もあり、札幌の音楽事情も少しずつ充実していった。音楽の普及に大きな役割を果たしたものにキリスト教がある。中でも組合教会では明治四十二年に札幌声楽会が結成され、田中兎毛牧師、宣教師のローランドなどの指導を得、讃美歌のみにとどまらず、レパートリーを一般の合唱曲にまで拡げていった。同会は大正二年三月に北辰教会で宗教合唱曲を中心とした演奏会を開いたが、間もなく解散したようである。しかしこの主要メンバーの多くはその後も活動を続け、札幌の音楽界に大きな影響を及ぼした。
 同じ大正二年、札幌音楽会が結成され、同年二月十一日に第一回演奏会を開催した。新聞の案内記事によると(北タイ 大2・2・6)、ピアノ独奏・連弾、バイオリン・チェロ二重奏、男声・女声合唱、バイオリン独奏等多彩であり、和楽器はあるが、出番は非常に少なくなっている。同年五月頃に札幌フィルハーモニーソサイエティーと改称し、演奏会を開いたが、予告記事によれば「技術の進歩著しき者あり、弦楽四部の組織も成りたる曲なれば」(北タイ 大2・5・19)と、技術・編成の進歩を伝えた。しかし同会も長続きはしなかったようである。おそらく九年の六、七月頃に札幌音楽普及会が結成されて十二年八月まで継続し、旧札幌音楽会関係者その他によって音楽講習会等を開催し、充実した活動を行った。
 四年には農科大学内にグリークラブが結成され、同大の外語劇などに活躍し、また九年札幌師範学校でも音楽研究団体緑団が結成されたが、これらは区教育会主催の音楽会等に影響されたものといわれている。また十年にはイワン・コバリスキーのマンドリン、バイオリン演奏会が行われ、これに刺激されて北大にマンドリン合奏団アウロラが結成された。
 これらの活動の上に立って同年十二月、北大にオーケストラ(札幌シンフォニー)、チルコロ・マンドリニスティコ・アウロラモルゲン・メンネルコールによって北大ソキエタス・パストラーリスが結成された。十一年一月から札幌シンフォニーが一四人のメンバーで森田繁の指揮によって練習を開始し、同年秋にはとりあえず札幌シンフォニー団内音楽会が開催され、十一月にはパストラーリス・コンサートが開かれた。
 なお、この時期の主な音楽指導者としては、これまでに記したローランドあるいは各種指揮者があげられるが、そのほかに師範学校教師の成川熊雄玉川瓶也などが著名である。中でも玉川は東京音楽学校の出身者であり、母校と札幌を結ぶ役割を果たした。このほか音楽塾的なものとして、明治四十年に札幌女子音楽園設立の動きが伝えられており(北タイ 明40・9・5)、同年九月二十八日には札幌音楽講習所なるものの開所式が報じられており(9・27)、あるいはこの二つは同じものかも知れない。さらに四十二年には蜻洲音楽会という名の音楽団体があったが、また「当区に一個所よりなきバイオリン教授所は(中略)蜻洲音楽会にして」(明42・5・12)と、音楽教育も行っていた。