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札幌神社と台湾神社

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 しかしながら、札幌神社が明治三十二年に官幣大社に昇格する背景には、日清戦争後の最初の植民地台湾の領有という重要な文脈がある。結論的にいえば、三十三年九月十八日(内務省告示第八一号)に台湾神社官幣大社として創建するためには、内国植民地における本家の札幌神社官幣大社たることが不可欠であったのだ。
 台湾総督府が編纂した『台湾ニ於ケル神社』(ガリ版刷、國學院大学蔵)には、以下の記述がある。
明治三十三年九月十八日、内務省告示第八十一号ヲ以テ、大国魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王ノ四神ヲ祭神トシ、官幣大社台湾神社ヲ創建セラレタリ。神代ノ三神ハ、国史ニ見エタル如ク、上古我ガ国土ノ御経営ヲ遂ゲサセラレシ後、海外諸国ニ其ノ御跡ヲ垂レ給ヒシト云フ御功績ニ依リ、領土開拓ノ神トシテ、維新ノ初メ、北海道ノ新開地ニ、官幣大社札幌神社ヲ建テテ、此ノ三神ヲ合祀セラレタル例ニ準シ、我ガ台湾ノ新領土モ、能久親王ト共ニ合祀シ給ヘルナリ、此ハ当時ノ識者ニ於ケル意見、又我ガ台湾総督ヨリモ、此ノ旨ニ本ツキ具申セシヲ勅裁在ラセラレ、新領土鎮守官幣大社トシテ、此クハ御発表相成リシ御儀ト拝承セリ

 ここには、官幣大社札幌神社に倣って開拓三神を「領土開拓ノ神」として、「新領土鎮守官幣大社台湾神社に祀ることを明記している。台湾神社には、明治二十八年(一八九五)の日清戦争で病死した近衛師団長北白川宮能久を一座、開拓三神(大己貴神(おおなむちのかみ)・大国魂神(おおくにたまのかみ)・少彦名神(すくなびこなのかみ))を一座として奉斎された。その中でも、台湾総督児玉源太郎が「台湾神社社格及社号之儀ニ付禀申」(明33・7・14)でいうごとく、台湾神社官幣大社たるべき理由としては「国土開拓ノ守護」としての開拓三神を祀ることが、第一義的に重要であった(台湾神社社務所編纂 台湾神社誌、高木博志 官幣大社札幌神社と「拓殖」の神学)。