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白石村

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 札幌市白石町は大正九年に札幌遊郭が移転してきて以来発展を続け、一条橋の架橋がなり電車が一条橋まで延長となる十一年には、すでに六〇〇戸ほどを数えるようになっていた。その宅地化の波はやがて境界を越えて隣接の白石村の横町、東札幌方面にも及ぶようになっていた。『北海タイムス』に連載された「大発展の白石町界隈」(大11・6・21~24)は、この時期の白石町の発展振りをよく伝えている。
 それと同時に上白石の東橋付近の発展も著しくなっていた(当時の東橋は北一条東一二丁目と現在の菊水七条一丁目の間を架橋。現在地への変更は昭和二十六年)。これは十一年に電車が苗穂駅まで延長となった結果であり、『郊外繁昌記』にも「殊に東橋附近は、非常な発展ぶりである。人家も相当なものが出来てゐて、ちょいと市街の観を呈してゐる。今ひと息で、橋北の苗穂に比適しさうな勢ひである」と述べている(北タイ 昭2・10・22)。当時、この付近の境界は現在の国道一二号線であり、以東が白石村大字上白石であったが、この影響を受けて上白石にも住宅が急増するようになり、四年の連担戸数はすでに四五一戸、人口二二七三人に及んでおり、白石村では一番の市街地となっていた。十四年には七二九戸、三五六四人となっており、村人口の約四割が上白石で占めていたことになる。昭和六年六月には上白石橋も架橋されている。