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豊平町と白石村

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 豊平町は明治四十一年四月一日に一級町村となり、もと石狩小学校の校長であった松崎亀二が大正三年七月以来町長に選ばれていた。松崎町長は昭和二十一年五月に退職するまで実に二八年二カ月の長期にわたって町長をつとめたのであるが、それだけに行政手腕にすぐれ町民の人望もあつかったといえる。そのために豊平町での政争や紛議も伝えられていない。
 役場庁舎は九年八月に一万五〇〇〇円の工費で着工され、十一月十六日に竣工し二十二日に落成祝賀会が開かれている。

写真-12 昭和9年に新築された豊平町役場松崎亀二郎町長(役場は現・豊平区月寒中央通7丁目)

 白石村は昭和七年六月一日に一級町村となるが、それまで二級町村の時期は以下の人物が村長に任じられていた(白石村誌)。渥美兵二郎(大7・3・30~15・12月)、小田切亮治(大15・12月~昭3・9月)、堤市太郎(昭3・10・15~5・7・17)、佐藤正三郎(昭5・7・17~6・7・29)、古瀬猛二(昭6・7・29~7・5・31)。
 この時期の問題としては大正十二年八月に、原因は不明であるが村長の渥美兵二郎と農会長の阿部仁太郎との対立問題が生じ、村長不信任、農会長排斥の政争が起きたようである(北タイ 大12・8・19)。これ以外はさしたる紛議もなく村政は推移していたようである。
 七年六月一日より一級町村となってからは、鈴木武良(昭7・9・9~7・11・16)、古瀬猛二(昭7・11・16~12・5・2)、鷲田弥太郎(昭12・7・2~16・7・2)、横辻亀次郎(昭16・7・2~21・11・21)が村長を歴任していた。鷲田村長まで何かと紛議の多かったことは前述した通りである。
 役場庁舎は、明治三十年七月に建築した戸長役場を三十五年六月に一部増築してそのまま永らく使用されていたが、昭和三年に新築され十一月三十日に落成式が行われた。議会の議事堂としては明治四十一年十一月十五日に落成した公会堂があり、各種集会にも利用されていた。