ビューア該当ページ

公区制への移行

221 ~ 222 / 1147ページ
 地域振興を目的とした住民組織は、ある程度活動目標が達せられると解散、休会していくものであるが、市内の地域の発展が満度に達し都市設備もほぼいきわたる昭和十年頃には、それらの住民組織には顕著な活動がみられなくなる。その一方では町内会的な住民組織はながく維持され、さらに市内のほぼ全域に創設されていったものとみられる。
 だが、十五年三月に札幌市が全域に公区制を敷くことにより、町内会的な住民組織は一六の聯合公区、三一一の公区に統合・再編されていき、自生的な住民組織としての役割を終えることとなった。公区制が短期間に割合にスムーズに実行できたのも、実はその基盤に町内会的な住民組織がすでに市内のほぼ全域で組織されていたことによるものであろう。
 それでも全面的な公区への移行には一部では問題もあったらしく、偕楽園町内会では一度解散したにもかかわらず、再度結成するという紛議も伝えられていた(北タイ 昭15・4・6、5・21)。