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陸軍特別大演習

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 昭和十年末、北海道陸軍特別大演習が行われると発表された。大本営北海道帝国大学農学部に設け、演習参加部隊は翌年十月一日に所定の場所に集結を完了、二日作戦行動準備、三日作戦一日目、四日作戦二日目、五日作戦三日目、六日観兵式、その後参加部隊が帰還することになった。この演習の中枢地に札幌が位置したから市民生活に大きな影響を与え、昭和十一年は演習に明け暮れた一年だったといえる。
 陸軍大演習は明治二十五年に第一回を行い、今回で三四回目だが、北海道では最初にして最後のことであった。この大規模な演習の目的を、参謀本部総長は訓示において「本州ト相貌ヲ異ニスル地方ニ於テ、師団ノ鉄道ヲ利用スル不羈独立ナル機動作戦及機甲部隊等ノ用法ヲ演練スルヲ主目的トス。惟フニ現下内外ノ情勢ハ、国軍訓練ノ精到ト統帥指揮ノ卓越トヲ要スルコト、益々切実ナルモノアリ」(統監部編 特別大演習写真帖)と述べている。作戦は南北両軍を想定し、これに参加した兵士将校等は二万五〇〇〇人とも三万五〇〇〇人とも報じられた。
 北軍は第七師団を中心に独立軽装甲車第一中隊、独立野戦重砲第一中隊、鉄道第一大隊、独立飛行第一中隊等をもって編成し、南軍は第八師団を中心に歩兵第八一聯隊第一大隊、独立軽装甲車第一一中隊、第一機甲団、第一一野戦高射砲隊、独立飛行第一一中隊等をもって編成された。両軍の作戦経過は次のようなもので、昭和天皇が大元帥としてこれを統監し、その大本営札幌に置かれたのである。
    〔北軍〕
      (一)対敵行動開始前
師団長ハ速ニ南部石狩平地ニ進出シ北進中ノ的ヲ苫小牧以北ノ地区ニ撃滅スヘキ方策ヲ樹立シ夕張支隊ヲシテ由仁南側地区ニ陣地ヲ占領シテ師団主力ノ千歳方面ニ向フ前進ヲ掩護セシメ主力ハ江別厚別及北広島附近ニ下車シタル後北海道鉄道ニ沿フ地区ヲ千歳ニ向ヒ前進シ敵主力ヲ索メテ攻撃スルニ決シ部署スル所アリ
      (二)対敵行動開始後  作戦十月三日
、師団主力ハ午前十時頃ヨリ逐次北広島附近ニ到着シ当面ノ敵ヲ撃破シテ夕刻頃千歳川ノ線ニ到達シ夜ニ入ルモ敵ヲ攻撃シテ同川右岸地区ニ進出ヲ企図ス
、夕張支隊ハ朝来由仁南側地区ニ陣地ヲ占領シ午前八時頃ヨリ逐次増加スル優勢ナル敵ノ攻撃ヲ受ケ午後三時頃夕張川右岸地区ニ後退シテ敵ヲ拒止ス
     作戦十月四日
、師団主力ハ午前四時頃千歳川右岸地区ニ進出シ攻撃ノ重点ヲ千歳―阿宇佐里道南側ニ沿フ地区ニ保持シツツ黎明ト共ニ攻撃ヲ開始シ概ネ水谷農場南北ノ線ニ於テ敵ト遭遇ス
次テ師団長ハ島松陸軍演習場附近ニ陣地ヲ占領シ機ヲ見テ攻勢ニ転スルニ決シ一部ヲシテ千歳川ノ線及其以北ノ地区ニ於テ逐次敵ノ前進ヲ遅滞セシメ主力ヲ以テ島松廠舎附近ニ陣地ヲ占領ス
諸隊ハ午後三時頃概ネ其配備ヲ完了シ夜ヲ徹シテ陣地ノ増強ニ努ム
、夕張支隊ハ新ニ到着セル混成第百一旅団ノ一部ト戦線ヲ交代シ師団主力ノ戦場ニ転進ス
     作戦十月五日
師団ハ敵ノ攻撃進捗ニ伴ヒ午前七時十分頃火力ヲ以テ敵ヲ圧倒シタル後攻勢ニ転シ戦闘酣ナル頃演習中止トナリ次テ作戦行動ヲ終了セラル

    〔南軍〕
      (一)対敵行動開始前
師団長ハ主力ヲ以テ室蘭本線ニ沿フ地区ヲ前進シ旭川方面ノ敵ヲ索メテ之ヲ撃滅スヘキ方策ヲ樹立シ左側支隊ヲシテ北海道鉄道方面ニ先遣隊ヲシテ室蘭本線方面ニ第一機甲団ヲシテ馬追山西方地区ニ前進シテ師団主力ノ進出並爾後ノ作戦ヲ容易ナラシメ主力ハ追分附近ニ下車シタル後室蘭本線ニ沿フ地区ヲ栗山ニ向ヒ前進シ敵主力ヲ索メテ攻撃スルニ決シ部署スル所アリ
      (二)対敵行動開始後  作戦十月三日
、先遣隊ハ午前八時頃ヨリ由仁南側地区ニ陣地ヲ占領セル敵ニ対シ攻撃ヲ開始ス
師団主力ハ午前八時頃ヨリ逐次追分ニ下車シ重点ヲ馬追山東麓地区ニ保持シ先遣隊ノ戦闘ニ加入シテ当面ノ敵ヲ攻撃ス
第一機甲団ハ午前十時頃長沼ニ到着シ次テ由仁西側地区ヨリ敵ノ背後ニ向ヒ攻撃ス斯クテ諸隊ハ鋭意力攻シ午後三時頃概シテ夕張川ノ線ニ進出ス
、左側支隊ハ一時敵ヲ圧迫シテ恵庭附近ニ進出セルモ爾後優勢ナル敵ノ圧迫ヲ受ケ逐次ノ抵抗ヲ為シツツ「オルイカ」阿宇佐里、美々ノ線ニ後退ス
、此夜師団ハ主力ヲ以テ北海道鉄道方面ニ兵力ヲ転用スルニ決シ由仁支隊ヲシテ当面ノ敵ニ対セシメ主力ハ鉄道及行軍ヲ併用シ千歳川ノ線ニ向ヒ転進
     作戦十月四日
、師団主力ハ拂暁前「オルイカ」阿宇佐里、美々ノ線ニ展開シ重点ヲ阿宇佐里―千歳道北側ニ沿フ地区ニ保持シテ当面ノ敵ヲ攻撃ス
爾後戦況有利ニ進展シ敵ヲ急追シテ夕刻頃島松附近敵陣地前ニ到着シ明拂暁ノ攻撃ヲ準備ス
、由仁支隊ハ新ニ到着セル混成第百十一旅団ノ一部ト戦線ヲ交代シ師団主力ノ戦場ニ転進ス
     作戦十月五日
師団ハ午前四時三十分攻撃準備ヲ完了シ重点ヲ二翁台ニ指向シテ敵陣地ヲ攻撃シ戦闘酣ナル頃演習中止トナリ次テ作戦行動ヲ終了セラル

(統監部編 特別大演習写真帖)


 このあと十月六日札幌飛行場(現北区北二四条一帯)において観兵式が行われた。演習に参加した兵士等二万五〇〇〇人と軍馬三〇〇〇頭が札幌に集結し、一三機編隊の航空機のほか多数の車輌も加わり、天皇や陸軍大臣、外国武官が閲兵ののち「陸軍戸山学校軍楽隊の行進曲吹奏に伴ひ、第七師団歩兵第二十五聯隊を先頭に分列式行はれ」(陸軍特別大演習並地方行幸札幌市記録)、「軍靴の音、鉄蹄の響き、砲車戦車の轟きは広袤四十万坪の飛行場を圧して剣光帽影燦として輝く」(北タイ 昭11・10・7)と報じられる「一大軍国絵巻」「開道以来の盛観」を呈し、これの見物に一〇万人を越える人々が集まった。

写真-17 陸軍特別大演習観兵式(昭11.10.6)

 この演習のため札幌入りしたのは広田弘毅総理大臣をはじめ、陸軍、内務、鉄道、司法、文部、宮内の各大臣から中央省庁の次官、局長が多数含まれ、内大臣、侍従長、侍従武官長、検事総長、枢密顧問官なども加わり、演習期間の札幌は軍人のみならず政治家、行政官の集会場となった。「盛観多彩の札幌に織りなす帝都風景」「政治の中心札幌に移り」と毎日の新聞は大きな見出しを掲げ、「札幌は創始以来の盛観だ。政治も軍事も東京を離れはる/゛\北へ一千粁。その中枢は完全に札幌にまとまった形である」(北タイ 昭11・10・6)と伝えられている。