札幌への都市計画法施行は、大正十二年四月末に他一六都市と共に都市計画中央委員会で決定し、その後内務大臣の認可を経て内閣決定し(北タイ 大12・4・25、5・5)、五月二十九日に裁可され、五月三十日勅令第二七六号として発布され、施行は七月一日とされた(官報第三二四八号 大12・5・30)。四月の都市計画委員会中央委員会での適用申請についての審議が行われるようになると、新聞紙上ではその進捗状況と札幌市の適用申請の姿勢について論議されてくる。
四月には新聞に次のような意見が掲載される。山鼻町の町名番地整調など都市計画法の適用が急務であるとして、札幌市は率先して中央当局に対し適用促進を働きかけるべきである。ところが函館や道外諸都市は都市計画委員会を設置しているにもかかわらず、札幌市はその準備機関である都市計画委員会の設置もしていない。札幌市は申請を早くしたに過ぎない。これは都市計画法の内容が一般に普及していないためか、市当局者の怠慢かどちらかである(北タイ 大12・4・11)。中央委員会の決定後、同法施行も時間の問題となった五月になって、札幌市にも準備委員会組織が必要であること、また臨時経画委員会の報告があるが、市会議員が気乗り薄であること、市当局者は中央委員会の細目発表を待って適当な措置に出る予定であることなどが、新聞紙上で指摘された(北タイ 大12・5・5)。六月には小樽市でも準備を行っているのに、「独札幌市は未だ何等の準備施設無く動ともすれば都市計画法の適用を以て却て迷惑視する向きすらあるは甚だ遺憾とする」(北タイ 大12・6・6)としている。札幌市や北海道庁がどのような動きをしているのか不明確であるが、以上は新聞報道による情勢である。新聞が外側から見ている様子では、行政側の動きが十分意を尽くしたものになっていないようである。