さらに札幌市内のバス会社としては、射羽定次郎が昭和二年井高虎之助名義で自動車輸送事業の認可を申請し、三年七月認可を得た会社がある。この会社は電車路線との関係を考慮して札幌駅を中心に山鼻、中島、元村の三路線を十月から営業開始した(札幌市史 政治行政篇)。四年二月札幌乗合自動車株式会社に改組して(札幌商工会議所月報では、二月十七日会社設立)、社長に東英治が就任した(札幌市史 政治行政篇)。その後札幌乗合自動車株式会社は、五年八月新たに北四西四~札幌村役場前、札幌駅~中島公園入口、北一西四~南一四西一三の三路線の営業認可を受けた(北タイ 昭5・8・28)。さらに九月には南一四西一三~南九西四(西8、9丁目経由)、南大通西三~北四東一(南1西2経由)、札幌駅前~北八東一(大学病院前経由)の路線延長が認可された(北タイ 昭5・9・24)。この札幌乗合自動車株式会社は青バスとして市民に親しまれたという。この青バスは昭和八年に札幌市が買収する(たとえば北タイ 昭8・3・12)。