ビューア該当ページ

札幌郊外電気軌道

369 ~ 370 / 1147ページ
 昭和三年四月藻岩村において、札幌温泉電気軌道株式会社が設立された(取締役社長河原直孝)。最初の営業路線は円山三丁目(南1西23)~温泉下(界川)間が四年六月三十日営業を開始した。また同社は琴似駅前~南一条間も営業認可を申請し、琴似村の村民からも軌道速成が陳情された。しかし昭和五年八月三十一日、電車へ配電していた変電所が焼失し、臨時に札幌市から受電しようとした。またこの五年下半期に会社名を札幌郊外電気軌道株式会社と改めた。変電所焼失のため、四月ガソリン客車で営業を継続しようとして認可申請し、八月認可された。しかし動力車は一台だけで、それも故障続きで営業成績は良くなかった。八年五月円山三丁目琴似駅間軌道工事が認可された。しかし九年八月には温泉下までの軌道営業休止を申請した。会社も札幌から東京へ移して会社更正に努力しなければならなかった。さらに琴似線の工事施行延期申請が却下されて、その特許も喪失した。十一年度の営業報告書によると、累積赤字が四万円を超えている(昭和三年上半期~十一年度営業報告 交通博物館蔵)。その後十二年五月軌道撤去と道路現状回復終了の届出がなされた(濱田啓一・渡辺真吾 失われた鉄道・軌道を訪ねて(52)札幌温泉電気軌道)。

この図版・写真等は、著作権の保護期間中であるか、
著作権の確認が済んでいないため掲載しておりません。
 
写真-9 温泉下駅での電車と乗務員