昭和三年四月
藻岩村において、
札幌温泉電気軌道株式会社が設立された(取締役社長河原直孝)。最初の営業路線は円山三丁目(南1西23)~温泉下(界川)間が四年六月三十日営業を開始した。また同社は琴似駅前~南一条間も営業認可を申請し、
琴似村の村民からも軌道速成が陳情された。しかし昭和五年八月三十一日、電車へ配電していた変電所が焼失し、臨時に
札幌市から受電しようとした。またこの五年下半期に会社名を
札幌郊外電気軌道株式会社と改めた。変電所焼失のため、四月ガソリン客車で営業を継続しようとして認可申請し、八月認可された。しかし動力車は一台だけで、それも故障続きで営業成績は良くなかった。八年五月円山三丁目琴似駅間軌道工事が認可された。しかし九年八月には温泉下までの軌道営業休止を申請した。会社も
札幌から東京へ移して会社更正に努力しなければならなかった。さらに琴似線の工事施行延期申請が却下されて、その特許も喪失した。十一年度の営業報告書によると、累積赤字が四万円を超えている(昭和三年上半期~十一年度営業報告 交通博物館蔵)。その後十二年五月軌道撤去と道路現状回復終了の届出がなされた(濱田啓一・渡辺真吾 失われた鉄道・軌道を訪ねて(52)
札幌温泉電気軌道)。
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