ビューア該当ページ

北海道鉄道札幌線(苗穂沼ノ端間)

378 ~ 379 / 1147ページ
 このルートに近似したものは、前述のように大正二年の北海道倶楽部の計画に、白石~追分間として登場していた。さらに前述のように九年の鉄道院の鉄道網計画には、苫小牧~白石間として登場するし、十一年の鉄道敷設法にも、白石~追分間として登場している。
 実際の鉄道計画は、三年北海道興業鉄道株式会社が白石安平間の軽便鉄道敷設の許可を受けている(北タイ 大3・4・22)。この計画の詳細は不明である。
 大正九年二月、金山方面で鉄道経営を申請していた北海道鉱業鉄道株式会社(大13北海道鉄道株式会社と改称)の総会で、苗穂~沼ノ端間の鉄道敷設申請が承認された。距離三六マイル五〇チェイン、三年継続で三六〇万円の計画であった(北タイ 大9・2・22)。この申請は九年八月、競願社の北海道中央電鉄中島公園地~安平村間の計画を押さえて許可された(北海道鉄道百年史 中)。十年五月実測開始、十二年六月工事施行認可を得て、十月から用地の買収に乗り出した。月寒沼ノ端間は十四年四月工事を開始し、十二月にはほとんど竣工した。また月寒苗穂間は、十三年三月工事施行の認可を得て、八月用地買収開始、十四年二月工事に着手し、十五年八月全線竣工した。現札幌市内には、省線苗穂駅を起点とし、東札幌停車場、月寒停車場(二五聯隊裏)、大谷地停車場、上野幌駅があった(北タイ 大15・8・23)。

写真-10 北海道鉄道札幌線の開通を伝える北海タイムス(大15.8.23)の記事(部分)
上段の写真は東札幌駅(右)と苗穂駅(左)

 この路線の意義は、札幌室蘭間の短絡線であり、金山線(同社の予定線)を通じて根室方面への短絡線でもあった。そのため沿線の町村に与える影響は大きいものであった。
 昭和十七年、戦時下における陸上交通網の整備と強化のために、また鉄道省が計画している鉄道網にこの路線が一部該当するため、鉄道省で買収することになり、十八年八月一日、八七五万円余で買収された(北海道鉄道百年史 中)。