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札幌経済圏の成長

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 札幌市の貨物集散を示した表5によると、まず、札幌は一貫して移入が移出を大きく上回っていることがわかる。また、移出入数量もあまり変化はない。重量(トン)による数値であることもあって、移入の最大のものは鉱産物であり、次いで林産物である。移出では、工産物、農産物が多い。工産物の中分類では、肥飼料が移出移入ともに多い。
表-5 貨物集散 (単位;トン)
品目農産品畜産品林産品水産品鉱産品 その他合計
工産品布帛類加工食料品嗜好品肥飼料窯業品その他工産品
昭 6移入99,1525,285108,40315,184227,755122,92619,977598,682
移出78,7121,9079,2042,5634,39780,38914,483191,655
  8移入97,0694,810190,45015,656235,400133,76210,700677,147
移出66,5652,05714,5512,9842,39387,2819,093175,831
  9移入112,6927,021111,10315,783233,981118,69835,472634,750
移出87,6046,19526,0093,2102,56883,55820,601229,745
 10移入75,1472,95289,90213,839255,979105,2294,09515,3184,15337,94327,30516,4153,416546,464
移出50,6802,88917,1262,34222,12573,7708127,73211,59537,7531,98313,8954,714173,656
 11移入80,4432,78599,33015,735260,75399,6214,63414,1154,32233,20925,04718,2944,213563,510
移出38,3983,08518,7853,41017,90083,7726157,80014,65337,8534,65818,1935,514170,884
 12移入77,9375,504107,75914,574240,668147,7411,72214,3214,21871,22830,18626,066594,183
移出42,5554,08127,6712,8083,91596,1513748,25117,68539,94911,88418,008177,181
1.「布帛類」から「その他工産品」までは工産品の内数。
2.札幌商工会議所『統計年報』(各年)より作成。

 原資料には商品ごとに移出入の相手先が「府県」(内地)と「道内及樺太」かが記されている。たとえば重量べースでみると、昭和十年には、移入の九三・六パーセント、移出の八三・七パーセントが道内及び樺太であった。これを金額べースでみると、移入の七七・七パーセント、移出の九二・一パーセントが道内及び樺太であった。この両者のズレの意味するところは、道内及び樺太からは、原料・食料など重量の割に価格の安いものを移入し、内地府県から完成品など重量の割に価格の高いものを移入していること、また道内及び樺太には、完成品など重量の割に価格の高いものを移出し、内地府県には、原料など重量の割に価格の安いものを移出していたということである。
 なお、道内との取引が圧倒的であるかのように見えるが、少なくとも移入については、鉄道貨物の直前の出発地を示していると考えるべきだろう。たとえば、米類は、府県から一六万三〇〇〇俵、道内及び樺太から五九万三〇〇〇俵移入しているが、うち小樽からの移入が三〇万七〇〇〇俵にものぼる(札幌商工会議所 統計年報 昭10)。府県からの移入では北陸各県がゼロとなっているが、越中米、越後米は札幌商工会議所の物価データに毎年登場するほど重要な移入品だった。このことは、各府県から小樽に入港した米を鉄道で積み出した場合、統計上「小樽発」となっている可能性を示唆している。
 しかし、この資料は、小樽と札幌の結びつきはよく示している。金額でしか表示できないが、昭和十年の札幌の総移入価額は五二九九万四〇〇〇円であった。このうち小樽からの移入が一五二六万二〇〇〇円にのぼり二八・八パーセントを占めている。この数値は昭和五年には二六四〇万円(三五・六パーセント)と高かった(同前 昭5、昭10)。ちなみに小樽は、同年に一億七一二四万八〇〇〇円移出しており、札幌向け移出はその一五・四パーセントとなる(小樽商工会議所 統計年報 昭5)。
 昭和五年における小樽の帝国内移入総額(内地、朝鮮、台湾、樺太)は、二億一四〇万九〇〇〇円であり、札幌(七四二五万四〇〇〇円)の二・七倍であった。移出は札幌(四三九五万円)の三・九倍であった。小樽にはこれに加えて二~三千万円の外国貿易がある。物流の規模では、小樽と札幌では格段の差があった。また札幌から移出される商品は、昭和十年でみると、道内では第一位空知(一六・二パーセント)、第二位小樽(一三・九パーセント)、第三位石狩管内(七・八パーセント)、第四位函館(五・九パーセント)、第五位網走管内(四・七パーセント)となっている。規模は小さいものの、全道に商圏が広がっているとみることもできよう。
 一方、内地府県の移入先はどうだろうか。昭和十年に一〇〇万円以上移入した府県名を記すと、第一位東京府(一三九万六〇〇〇円、一一・八パーセント)、第二位宮城県(一一二万二〇〇〇円、九・五パーセント)、第三位秋田県(一〇八万円、九・一パーセント)、第四位青森県(一〇〇万二〇〇〇円、八・五パーセント)の順となっていた。京阪神(京都府・大阪府・兵庫県)は合わせても三九万五〇〇〇円(三・三パーセント)にすぎず、関東・東北地方との結びつきが強かったといえるだろう。
 各品目を金額の多い順に並べると、移入では、第一位米、第二位機械類、第三位鉄及び鋼製品、第四位石炭、第五位塩干魚介蝦類、第六位セメント、第七位飼料、第八位馬、第九位丸太、第一〇位砂糖類であった。移出では第一位機械類、第二位鉄及び鋼製品、第三位飼料、第四位ビール、第五位和紙、第六位清酒、第七位菓子類、第八位生野菜、第九位馬、第一〇位乾物となっている(札幌商工会議所 統計年報 昭10)。移入と移出の上位に機械類、鉄及び鋼製品が登場するが、たとえば機械類移入三三六万円のうち七〇・〇パーセントが府県からであり、また機械類移出はほぼすべて道内に向けられ、総額五七六万円にものぼる。これは、札幌の機械器具工業が、製材工場用大型鋸(バンドソー)、コンクリートブロック製作機、ポンプ、水車などを自作する一方、モーター、発電器など高度な機械は、内地府県から購入し道内各地に販売していたことを示している(藤森安太郎 藤屋系鉄工史 明治22年~昭和50年)。
 札幌市場圏の大きさを時系列的にみることにしよう。札幌、函館、小樽三市の営業収益税納税者の純益金額や手形交換高を比較したものが表6である。まず、物品販売業の純益金額では昭和三年に札幌が三市の最下位であったが、六年には小樽が、おそらく恐慌の打撃により落ち込み、九年には三月二十一日の大火のために函館が激減している。この間札幌は順調に金額を伸ばしていた。一方、運送業、倉庫業は、物流拠点としての規模が格段に違うために、札幌は皆無に等しい。しかし製造業、請負業などすべての業種および法人を含めた営業収益税納税者の純益金額は、一貫して札幌が最多であり、六年までは函館が次ぎ、九年からは小樽が替わった。
表-6 三市の取引規模 (単位;人,千円,枚)
営業収益税手形交換高出入金高
物品販売業運送業倉庫業総合計枚数金額出金入金
営業人員純益金額営業人員純益金額営業人員純益金額営業人員純益金額
昭 3札幌2,1772,5924038113,2208,909251,328123,491195,025197,321
函館2,4122,9161231743244,1758,112462,616262,440173,291177,781
小樽2,5542,8421952118363,9246,801490,034417,197345,486326,820
  6札幌2,8792,8737557(2)03,9228,776245,49891,848154,728146,656
函館2,4403,0411441543184,1927,685369,731144,755103,74894,703
小樽2,4812,5861641643214,0956,416398,985230,070224,243211,578
  9札幌3,0112,969101794,2528,734273,518145,127
函館9941,11796123141,9564,757357,778201,225
小樽2,5452,9351812574244,2648,100440,614377,142
 12札幌2,8743,13710376(1)14,1279,741326,765212,276
函館1,9472,39672145303,6548,092398,212288,683
小樽2,3062,8771451325283,9839,542505,805640,693
1.総合計には個人のその他業種,法人を含む。
2.営業人員の( )は兼業。
3.出金は送金為替取組,割手代手取立,荷為替取立,当座口振込受入,現金廻送の合計。入金はその逆。北海道・内地府県・朝鮮・台湾・樺太・外国を含む。
4.札幌税務監督局『税務統計書』(各年),『北海道庁統計書』(各年),北海道拓殖銀行『北海道樺太対各地間出入金高調昭和六年』より作成。

 取引の頻度と規模を示す手形交換高は、金額でみると、小樽、函館、札幌の順であり、小樽は札幌の三・〇倍(昭12)であった。これは、先にあげた移出入金額の差に相応する。しかし、銀行サイドからみた出入金高では、小樽、札幌、函館の順となり、しかも小樽と札幌の差はこれまでみた指標と比べ、格段に小さくなっている。すなわち札幌では、物流を伴わない資金の出入が多かったことが推測できる。また、昭和恐慌による昭和六年の落ち込みも、小樽・函館に比べて格段に小さかったのである。
 このように、札幌市場圏は、物流という点においては、小樽に比べはるかに小さな規模ではあったが、資金出入の規模は大きく、この時期に着実に成長を遂げつつあったのである。