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北門銀行の発展

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 北門銀行は、大正十三年には札幌本店の下に豊平・北八条出張所を置き、東京、函館、若松町(函館)、小樽、余市、岩見沢、室蘭、旭川、帯広に支店を置いていた(北門銀行 営業案内)。道内普通銀行としては道銀に次ぐ第二の地場銀行として発展し、大正十五年六月末における預金、貸金合計は、それぞれ道銀の約三分の一に達していた(北海道庁内務部商工課 本道各銀行金融概況)。昭和二年四月一日からは、道銀に代わり北海道地方費の取扱銀行に指定された(北タイ 昭2・2・3)。
 表12に北門銀行の営業状況を掲げた。資本金は当初五〇万円で開業し、昭和三年には二〇〇万円に増資し、銀行法の定める普通銀行最低資本金一〇〇万円をクリアしている。表12をみると、昭和六年下半期に預貸率が悪化していることがわかる。このときの有担保貸付金一〇六四万円のうち、八六・五パーセントが土地建物担保の不動産抵当貸付であった(北門銀行 第七二期業務報告書)。また、表12では、借入金の多さが際立っている。損益計算書によると、昭和二年下半期から十年下半期にかけて貸付金利息は四二万円から五七万円へと増加したが、借用金利息は低下傾向にあるとはいいながら十数万円を計上しており、重い負担となっている(北門銀行 業務報告書―各期)。
表-12 北門銀行主要勘定 〔単位:千円〕
資産の部証書貸付手形貸付当座貸越商業手形荷為替預け金国債社債株式所有動産不動産合計
大15上3,1133,8444001,85275182515303580512,542
昭 2 下6,7233,7185001,5131231,555883633588017,230
  3 下8,5074,5184524071423,756863879322,045
  4 下8,1983,956506266365,362843875922,316
  5 下7,6403,681571204645,1571,0095095222,129
  6 下7,7113,680652214217657976599917,732
  7 下7,7073,826685182291,405795651,13018,747
  8 下8,0424,011847204163,947900891,29122,158
  9 下7,9054,005800330369,7688961671,29128,272
 10下8,8225,5699195951024,8508902741,32426,302

負債の部払込資本金法定準備金別途積立金行員退職給与基金公金預金当座預金特別当座預金定期預金通知預金借入金当期利益金合計払込資本金利益率預貸率
大15上38262270211351,8544,8134,1784322812,5427.3%67.8%
昭 2 下3827127086,2454,0233,6452,05016017,23041.978.6
  3 下78697380514,1045,5606,4721462,77012222,04515.582.8
  4 下78611144093,4226,3347,661871,73013022,31616.572.3
  5 下786125476166,0264,3505,3641233,16010422,12913.275.0
  6 下786137486182,3143,6715,443772,9459917,73212.6104.7
  7 下786147493213,2404,0985,273941,7119818,74712.596.2
  8 下786157499234,3284,8206,9651082,60710222,15813.079.5
  9 下786167505277,2405,5758,7457282,67910228,27213.057.0
 10下786177511304,8905,8709,4861432,52810326,30213.175.1
1.昭和2年下半期の借用金は「コールマネー」。
2.北門銀行『業務報告書』(各期)より作成。

 昭和十年十月九日に行われた北門銀行支配人会議において、松本脩拓銀頭取は、全国的に貸出減少傾向にある昭和八~十年に北門銀行が貸出を伸ばしたことを賞賛しつつ、他行との金利引下げ競争を避けること、大口貸出の回収に努めること、預金コストのなおいっそうの引き下げに努めることを要請した(北門銀行支配人会議ニ於ケル松本頭取訓示草稿 北門銀行関係書類)。
 北門銀行に対する拓銀の指導・監督は、資金援助にまでおよんでいた。その始まりは、大正十五年旭川に本店を置く糸屋銀行の破綻を契機として、北門銀行も危機に陥ったときである。先に紹介した二一項目の拓銀頭取承認事項の通達は、資金援助の一環であったのだろう。昭和三年までの援助額は、貸出金預金を合わせて約四八四万円で、北門からの余裕金預かりを差し引くと約一六四万円の貸出超過となっていた。ただし、北門銀行の業務の拡大に伴い、昭和九年の拓銀監査時には、逆に北門側の貸出超過となっていた(監理官 橋本昂蔵 北海道拓殖銀行ニ関スル主ナル問題ノ概要)。