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札幌金融市場の膨張

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 昭和十六年(一九四一)三月二十八日、札幌商工会議所理財部会が開かれ、特に金融情勢につき協議された。その結果、「札幌の金融状勢は、全く驚異的発展を示し、本道経済の中心地たることは必須であり、已に数年前より日銀支店の設置がないため極めて不便を感じており……」と日銀支店設置を要望することとなった(北タイ 昭16・3・29)。さて、札幌金融市場の驚異的発展とは、いかなるものであったのだろうか。
 まず、北海道における主要都市、小樽、函館、札幌の金融諸指標を比較してみよう。図11から図14がそれである。いずれも、組合銀行の数値であるため、組合非加入銀行の数値は含まれていないが、金融市場の大勢を知る上で差し支えない。
 図11の預金残高は、小樽、札幌、函館の順であったが、十四年九月に札幌が小樽を追い越し、それ以後はほぼ一貫して首位である。戦時体制下の貯金奨励策のために三市ともに伸びは著しく、図示した期間に約三倍となった。図12の貸金残高では、札幌の数値が二通り出ている。数値の大きい方が拓銀本店の年賦償還貸付、定期償還貸付を含むもので、小さい方はそれを含まないものである。拓銀の長期貸付は大きく、これを含むと札幌の貸金残高は約二倍となる。しかし、含まない方でも十四年には、函館に匹敵する額に達していた。拓銀を含む貸金計は、数値が判明する十三年から札幌、小樽、函館の順である。また、預金の伸びに比べ伸び率は小さく、札幌、函館ともに、図示した期間内約二倍の伸びにとどまっていた。

図-11 預金残高(単位;千円)


図-12 貸金残高(単位;千円)

 次に手形交換高をみよう。図13の手形交換高(金額)は、商取引の規模を反映して、小樽が他の二市を圧倒していた。しかし、ここでも札幌の急増により、図示した期間の最後の十六年十二月に一億三〇四〇万円となり、小樽の一億三〇八〇万円に肉迫した。三市ともに手形交換高(金額)は増加し、札幌は十二年十二月から十六年十二月にかけて約四・三倍化、小樽は一・九倍化、函館は一・八倍化した。ただし、図14の手形交換高(枚数)をみると、様相は異なっている。三市の相対的関係は変わらないが、十二年十二月から十六年十二月までの伸び率は、札幌(+)三七・八パーセント、小樽(-)九・九パーセント、函館(-)四・七パーセントであった。すなわち、戦時インフレのために、手形交換高(金額)は三市ともに増えたが、商取引の実態を示す交換高(枚数)では、札幌だけが増え、他の二市は減退していたのである。また、戦時インフレの影響も一様ではなかった。一枚当り金額は、十二年十二月に札幌七九四円、小樽一一九五円、函館七八四円であったが、十六年十二月には札幌二五〇四円(三・二倍)、小樽二四七七円(二・一倍)、函館一四八九円(一・九倍)となった。札幌手形交換高(金額)の激増は、インフレに加えて、取引規模が大口化したことが推測できる。

図-13 手形交換高金額(単位;千円)


図-14 手形交換高枚数(単位;千円)

 ともあれ、金融市場の諸指標において、十六年末には、手形交換高ではわずかの差で小樽が首位を保ったものの、その他の指標では、すべて札幌が首位となった。これが、「本道経済の中心地」としての実態である。
 ところで、札幌はじめ三市の全国的位置はいかなるものだったのだろうか。表25では日中戦争開始一年後の全国各地組合銀行の預金・貸金残高を比較した。札幌は預金で一一位、貸金では六大都市および福岡に次いで八位に位置している。もっとも拓銀本店の年賦償還、定期償還貸付を含んだ数値なので、貸付先は札幌市域にとどまらないと思われる。しかし、六大都市最下位の横浜にも匹敵する金額になっていること、また、小樽と合わせた札樽金融市場としてみるならば、六大都市クラスの資金規模に達することは注目できる。
表-25 札幌金融市場の全国的位置
(昭和13年9月末現在 単位;千円)
順位預金貸金
1東京4,679,268東京3,597,037
2大阪2,587,796大阪1,791,839
3神戸618,224神戸513,668
4名古屋499,921名古屋377,426
5京都496,924京都237,567
6横浜436,926横浜119,571
7広島170,544福岡109,421
8福岡133,161札幌101,064
9下関・門司125,021広島90,803
10小樽95,204小樽97,851
11札幌80,844下関・門司85,526
12岡山74,707函館68,193
13函館72,987岡山49,734
14長崎59,112新潟43,103
15熊本58,422仙台40,580
小竹文次郎「金融から観た最近の札幌」(札幌商工会議所『月報』159号 昭13.11)より作成。