まず、北海道における主要都市、小樽、函館、札幌の金融諸指標を比較してみよう。図11から図14がそれである。いずれも、組合銀行の数値であるため、組合非加入銀行の数値は含まれていないが、金融市場の大勢を知る上で差し支えない。
図11の預金残高は、小樽、札幌、函館の順であったが、十四年九月に札幌が小樽を追い越し、それ以後はほぼ一貫して首位である。戦時体制下の貯金奨励策のために三市ともに伸びは著しく、図示した期間に約三倍となった。図12の貸金残高では、札幌の数値が二通り出ている。数値の大きい方が拓銀本店の年賦償還貸付、定期償還貸付を含むもので、小さい方はそれを含まないものである。拓銀の長期貸付は大きく、これを含むと札幌の貸金残高は約二倍となる。しかし、含まない方でも十四年には、函館に匹敵する額に達していた。拓銀を含む貸金計は、数値が判明する十三年から札幌、小樽、函館の順である。また、預金の伸びに比べ伸び率は小さく、札幌、函館ともに、図示した期間内約二倍の伸びにとどまっていた。
図-11 預金残高(単位;千円)
図-12 貸金残高(単位;千円)
次に手形交換高をみよう。図13の手形交換高(金額)は、商取引の規模を反映して、小樽が他の二市を圧倒していた。しかし、ここでも札幌の急増により、図示した期間の最後の十六年十二月に一億三〇四〇万円となり、小樽の一億三〇八〇万円に肉迫した。三市ともに手形交換高(金額)は増加し、札幌は十二年十二月から十六年十二月にかけて約四・三倍化、小樽は一・九倍化、函館は一・八倍化した。ただし、図14の手形交換高(枚数)をみると、様相は異なっている。三市の相対的関係は変わらないが、十二年十二月から十六年十二月までの伸び率は、札幌(+)三七・八パーセント、小樽(-)九・九パーセント、函館(-)四・七パーセントであった。すなわち、戦時インフレのために、手形交換高(金額)は三市ともに増えたが、商取引の実態を示す交換高(枚数)では、札幌だけが増え、他の二市は減退していたのである。また、戦時インフレの影響も一様ではなかった。一枚当り金額は、十二年十二月に札幌七九四円、小樽一一九五円、函館七八四円であったが、十六年十二月には札幌二五〇四円(三・二倍)、小樽二四七七円(二・一倍)、函館一四八九円(一・九倍)となった。札幌の手形交換高(金額)の激増は、インフレに加えて、取引規模が大口化したことが推測できる。
図-13 手形交換高金額(単位;千円)
図-14 手形交換高枚数(単位;千円)
ともあれ、金融市場の諸指標において、十六年末には、手形交換高ではわずかの差で小樽が首位を保ったものの、その他の指標では、すべて札幌が首位となった。これが、「本道経済の中心地」としての実態である。
ところで、札幌はじめ三市の全国的位置はいかなるものだったのだろうか。表25では日中戦争開始一年後の全国各地組合銀行の預金・貸金残高を比較した。札幌は預金で一一位、貸金では六大都市および福岡に次いで八位に位置している。もっとも拓銀本店の年賦償還、定期償還貸付を含んだ数値なので、貸付先は札幌市域にとどまらないと思われる。しかし、六大都市最下位の横浜にも匹敵する金額になっていること、また、小樽と合わせた札樽金融市場としてみるならば、六大都市クラスの資金規模に達することは注目できる。
表-25 札幌金融市場の全国的位置 (昭和13年9月末現在 単位;千円) |
順位 | 預金 | 貸金 | ||
1 | 東京 | 4,679,268 | 東京 | 3,597,037 |
2 | 大阪 | 2,587,796 | 大阪 | 1,791,839 |
3 | 神戸 | 618,224 | 神戸 | 513,668 |
4 | 名古屋 | 499,921 | 名古屋 | 377,426 |
5 | 京都 | 496,924 | 京都 | 237,567 |
6 | 横浜 | 436,926 | 横浜 | 119,571 |
7 | 広島 | 170,544 | 福岡 | 109,421 |
8 | 福岡 | 133,161 | 札幌 | 101,064 |
9 | 下関・門司 | 125,021 | 広島 | 90,803 |
10 | 小樽 | 95,204 | 小樽 | 97,851 |
11 | 札幌 | 80,844 | 下関・門司 | 85,526 |
12 | 岡山 | 74,707 | 函館 | 68,193 |
13 | 函館 | 72,987 | 岡山 | 49,734 |
14 | 長崎 | 59,112 | 新潟 | 43,103 |
15 | 熊本 | 58,422 | 仙台 | 40,580 |
小竹文次郎「金融から観た最近の札幌」(札幌商工会議所『月報』159号 昭13.11)より作成。 |