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本龍鉱山、豊富鉱山、豊宏鉱山

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 以上のほかに『豊平町史』に、戦前から操業を開始した鉱山として、本龍鉱山豊富鉱山豊宏鉱山の三鉱山が紹介されている。『北海道の金属鉱業』(昭27)で補いながら紹介しよう。
 まず本龍鉱山は、昭和七年砂川善太郎が権利を手に入れ探鉱して、十八年秋に発見した鉄鉱山である。位置は定山渓西南方面を虻田街道に沿い一三キロメートルのところという。戦局も進んでいたことから大急ぎで試掘が行われ、二十年宿舎や事務所を山元に建設し、森林軌道も開設し、本格的操業を開始しようとした。しかし八月敗戦とともに朝鮮人労働者の帰国命令が出されて休山状態となった。
 豊富鉱山は、薄別川の上流薄別温泉から約四キロメートルに位置し、昭和二十年頃までは国蔵鉱山と呼ばれていた銅・鉄・鉛・亜鉛の鉱山である。
 豊宏鉱山は、定山渓から小樽方面へ六キロメートルほどのところに位置する、金・銀・銅・鉛・亜鉛鉱山である。昭和期の地形図に稲豊鉱山とあるのがそれにあたると思われる。大正初期に鉱床が発見され、昭和十年鉱業権が設定され定山渓鉱山と称して操業したが、ほとんど休止状態であった。十八年豊宏鉱山と改称し、帝国鉱業開発から融資を得て開発に着手したが、まもなく敗戦となり休山し、二十一年閉山した。