大正八年頃から札幌区では電業区営の方針を決定して、札幌水力電気株式会社(以下札幌水電と略)を買収しようとしたが、区会内の政争を招くとともに、市民をも巻き込んだ反対運動も起こった(市史 第三巻)。佐藤区長の退職などで買収話は流れた(札幌市史 産業経済篇)。
また、大正十三年末から札幌水電は函館水力電気などとの合併話が起こっていた。札幌水電の買収を必要と考えた札幌市会は、十二月の市会議員協議会で札幌水電の買収を決定して、合併阻止の動きをした。札幌水電では株主総会などの決議も経て合併は不可避であった。しかし函館市営電車経営問題で函館市からの反対があり、函館水力電気の株主総会が流会となり、合併話は取りやめになった。しかし札幌市による買収も成功しなかった(北タイ 昭6・2・16、17、18、20、21、札幌市会小史 第三期)。
しかしこの電業公営問題は、上水道事業にともなう豊平川水利権問題や札幌市営電車計画とも絡む問題であった。電車買収は電業公営問題と切り放して実現したが、豊平川の水利権に固執した札幌市は、最後に上水道敷設計画と絡めて豊平川水利権を確保するために、電業市営計画を進めた。昭和六年に豊平川水利権が認可されると、その二つをセットとして政府の認可を申請した。しかし政府の電業統一の方針から、電業市営とセットとなった上水道事業の認可が下りないことから、結局電業市営計画を断念することになった。