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三・一五事件

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 昭和三年(一九二八)の普選の第一回総選挙の運動中、北海道地区オルガナイザー三田村四郎を中心に日本共産党の組織が札幌・函館・小樽などに生まれ、機関紙『北海通信』のほか、札幌では『札幌市電労働新聞』『帝麻工場新聞』などの細胞単位の工場新聞も発行されていた。ところが、こうした共産党の活動を特高警察も司法当局もつかまえていなかった。
 警視庁の内偵をもとに、共産党の全国一斉検挙を企図した内務省・司法省は、三一道府県の警察部や地裁検事局に三月十五日の検挙を指示した。三月十二日に指示を受けた北海道では、警察部長を隊長とする「特別一斉捜索隊」を編成し、札幌控訴院の検事長を長とする検察側と協力し、検挙を断行した。札幌署は捜索隊の「第一班」(署長が班長)で、署高等係と警察部の特高課が主力となった。まず十五日早朝には札幌合同労組・労農党支部・全日本無産青年同盟支部・無産者新聞支局、木田茂晴(弁護士)と沼山松蔵(労農党支部長)宅が家宅捜査され、前記の機関誌類なども押収された。四月中までの検束者数は全道で二五〇人(検挙となった者はそのうち一三八人)、札幌署では検束者三〇人に上った。沼山・木田のほか、田口右源太原田孝一郎寺島親蔵武内清九津見房子らである。ただし、警察に検束引致された者は実際にはもっとあったはずである。しかも容疑不十分で釈放された者に対しても札幌署では「再組織ノ運動其他不穏ノ行動ニ出テントシタルヲ以テ浮浪罪ノ廉ニ依リ拘留二十九日ニ処シ之ヲ阻止セリ」という再弾圧をおこなった(以上、北海道庁特高課 北海道ニ於ケル日本共産党事件顛末 4・30調、荻野富士夫編 特高警察関係資料集成 第四巻)。

写真-1 三・一五事件の特高報告