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麦酒会社争議の失敗

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 札幌合同労働組合は、大正十五年十月に定山渓鉄道解雇反対運動に取り組み、昭和二年二月には麦酒会社の解雇反対運動を展開したが、これは多数の検挙者を出し失敗に終わった。合同労働組合の実力を過信した争議であったと自己批判している。その後の駒野製綿争議には成功した。
 昭和二年における札幌の労働争議は、表6の九件であるが、七件は札幌合同労働組合が指導したものであった。工場労働者の争議は、三年以降大工場では労務管理が強化されたため、ほとんど起こらなかった。
表-6 昭和2年の工場労働争議
工場名争議開始参加人員要求関係組合
林産経木1月20日157人給与全額支給札幌合同
北海道製縄1.305復職解雇手当札幌合同
日本麦酒3.15118解雇手当総額札幌合同
駒野製綿3.1545保険業主負担札幌合同
駒野製綿4.1544前職長復職ナシ
小貫鉄工5.311解雇手当札幌合同
亜麻製線7.107解雇手当ナシ
堀野家具9.231復職札幌合同
三田印刷9.161解雇手当札幌合同
「昭和二年経済事情その他重要事項調書」より作成。

 昭和三年以降の労働組合の指導した労働争議は、四年五月十六日のエンゼル館争議(札幌一般労働組合)、六月二十五日の札幌乗合自動車争議(札幌一般労働組合)、六年六月上旬のエンゼル館争議(札幌一般労働組合)、八年一月の青バス争議(全協札幌地区協議会)、三月十五日の石切場争議(労働者共和会、実は全協土建札幌分会)などで、四年三月の藤屋鉄工場を最後に、工場争議は姿を消した。
 全札幌労働者組合や昭和十一年三月に組織された札幌労働者組合には、争議を指導する力量がなかった。