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法外調停期

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 この時期には、松尾支庁長と阿部仁太郎札幌郡農会副会長が中心となって調停案の作成に尽力した。桜井村長辞任後の篠路村会は、対小作強硬派が主導権を握りつつあった。四月二十七日、実状調査のため来村した北海道庁小作官時田民治の報告書によれば、村会議員側の主張として、
(一)過般ノ第三者ノ調停ヲ拒否シタル小作人側ノ態度ハ、誠意ナキモノト認ムルガ故ニ争議地ノ開放ヲナササルコト
(二)小作契約ノ内容ハ、総テ村所定ノ規定及村会ノ決議ニ因リ締結スヘキコト

とある。これに対して小作人側は、
(一)争議地ヲ開放シ之ヲ現在ノ賃貸人ニ売却シ、自作農ノ創設ヲ計ルコト
(二)右売買ノ完了スルニ至ル迄ノ小作料ハ反三円ニテ宜シキコト
(三)前二項ノ実行不可能トセバ、従来ノ長期小作契約ノ精神ニ基キ相当小作料ヲ以テ今後モ亦二十ヶ年ノ期間ニテ小作契約ヲ締結スルコト

という要求であった。こうした両者の対立点を調整すべく松尾支庁長は、①小作料を反当り三円より更に一割減額すること、②従来の小作人全員と小作再契約を結ぶこと、③小作権転貸の弊害を避け、耕作者に直接耕作権を与えること、という調停案を作成し、五月二十日段階では争議は円満に解決するかにみえた(北タイ 昭3・5・20)。
 しかし最終的に小作人側は、村有地の解放と自作農創設の問題が明確でないとして、翌五月二十一日、札幌地方裁判所に小作調停申立の書類を送付した。その後も篠路村と小作人の対立は「村平和上甚ダ寒スヘキ所」と苦慮した松尾支庁長と時田小作官は、独自の調停案を作成して事態の収拾を図ったが、これも小作側の受け入れるところとはならなかった。