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学田地の売却

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 円山町は昭和十五年七月二十七日、新たに「自作農創設維持奨励規程」全一七条を制定したが、その三日後の七月三十日、学田地の小作人への売買予約契約が締結され、十六年一月二十六日、本契約が締結された。売買代金は水田を例にとると、円山町の提示価格が反当り一五三円一銭に対し、仲介役の手稲村長は一一八円八二銭を提示し、両者の間にはかなりの差があった。双方で交渉の結果、一三五円九〇銭となり、同じく畑は四一円八六銭、山林原野は六円五〇銭の線でほぼ固まり、最終的に学田地の総額は七万三三一八円と決定した。そして、この学田地の解放問題が落着した直後の十六年四月一日、円山町札幌市に編入された。