番号二の争議は、直接的には小作人Kが折から始まった日中戦争に応召のため、地主への契約小作料の支払いが困難になったことに起因する。すなわち小作人Kは、昭和十年から白石村字北郷番外地の田村与平所有地に入地し、小作料は反当り玄米一九俵二斗三升二合の契約であった。当時Kには妻(32歳)の他に長男(14)、二男(11)、三男(9)、長女(5)、二女(2)の五人の子供がおり、農業の傍ら日雇をしてようやく生計を維持していた。一家の大黒柱ともいうべきKの出征により、残された妻子の生活が困窮化するのは明らかであった。Kの家族には、白石村から軍事扶助金月額二一円が支給されていた。しかし、K家はもともと労働力不足のため、「田ハ雑草密生シ到底其ノ侭ニテハ収穫ノ見込ナキ状態」であった。このため、白石村北郷労力奉仕班が草取、稲刈、籾摺など延べ一二〇人分の労力奉仕を行ったが、それでも一九俵の小作料を支払うと飯米に事欠いた。そこで、地主に一五俵の減額を求めたが拒否され、十二月二十一日には札幌市の妻の実家に妻子が転居してしまった。
このような状況をみた部落区長等は、地主に小作料の減額を交渉したが応じなかったため、所轄の白石巡査駐在所の巡査に調停を求めた。双方の事情を聴取した巡査は、地主に対し「小作人主人応召中ニ付減額方諭示」し、昭和十二年中に限って小作料を玄米一九俵から一五俵に減額することで落着した。
番号三は、小作人Oが一カ年三〇〇円の小作料で十一年四月に入地したが、土質が悪く収穫が少ないとして小作料の減額を求めて依法調停を申請したものである。札幌地裁で調停の結果、①地主は昭和十二年の小作料を一〇〇円に減額すること、②小作人は一〇〇円の内五〇円を即納し、残金は同十三年末から一〇円宛五年間で償還すること、に決定した。