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北海道庁主催「北海道アイヌ手工芸品展覧会」

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 「北海道アイヌ手工芸品展覧会」は北海道庁学務部社会課が、明治三十二年に制定した「北海道旧土人保護法」の「改正」を視野に収めながら、アイヌ民族の経済的自立とその工芸品の紹介を目的として、昭和十年に札幌で開催したものである。

写真-16 北海道アイヌ手工芸品展覧会開催状況(昭10)

 この展覧会の発案者は当時の北海道庁長官・佐上信一であった(北海道庁学務部 北海道アイヌ手工芸品展覧会開催状況)。佐上は内務省地方局長、京都府知事などを歴任した内務官僚で、昭和六年に北海道庁長官に就任した。佐上武弘編『佐上信一』によれば、佐上はアイヌ民族の経済的自立を企図した施策の立案に関心を示し、自ら北海道出身で元帝展審査員であった彫刻家・加藤顕清に「熊の木彫の指導」を依頼したりもした。展覧会はこうしたアイヌ民族の経済的自立策の一環として開催されたのである。
 「北海道アイヌ手工芸品展覧会開催要項」によれば、この展覧会への出品資格は「北海道在住ノアイヌ人」に限定するとともに、出品申込書には「右ハ北海道アイヌ人〔氏名記入欄〕ニ於テ製作シタルコトヲ証明ス」という、アイヌ民族が居住する市町村長の証明も必要とされていた。このことは単に当人が製作した事実の証明だけではなく、当該市町村に居住していたことの事実の証明でもあった。出品者は白老村の貝澤藤蔵をはじめとして八〇人以上に達し、そのなかには札幌市内に在住していたアイヌ民族六人が含まれていた(同前)。
 この時期の『旧土人ニ関スル調査』『北海道庁統計書』『札幌市統計一班』などの公的な統計類では、札幌市内のアイヌ民族の居住の事実を確認することはできない。昭和初年の経済不況を境にして、アイヌ民族が賃労働などで生活の糧を得るために、それまでのコタンから都市へ転住していた歴史的事実を重ね合わせれば、アイヌ民族が札幌市内に居住していても何ら不思議はない。むしろ、当然の帰結といえる。これらの統計類は札幌市内でのアイヌ民族の存在を十分に認識していながら、それを統計上から「隠蔽」した。そこには何らかの理由が存在していたはずであるが、現時点では不明である。これらの点はこれから述べていく、すべての事項に共通しているといえよう。
 この展覧会は多くの札幌市民の関心を呼んだが、主催者はその様子を「入場するもの引きもきらず、趣味豊かな、渋味のある此等手工芸品に驚異の目を見張る人々の多きこと社会課員総出勤にて整理を要」するほどであったと述べている(同前)。なお、入場者数は六日間の会期中の合計で一万人に達した。この展覧会は前述の「北海道原始文化展覧会」とは性格を異にして、アイヌ民族の経済的自立を企図していたため展示品は即売され、五〇〇点中一七二点には「売約の赤札」が張られた(同前)。また、出品作はすべて審査の対象となり、名誉賞は旭川市の松井梅太郎、一等賞は同じく旭川市の杉村テキシランがそれぞれ受賞した(同前)。なお、松井は二年前の八年六月に三越札幌支店で「木彫実演」を行った記録が残っている(北タイ 昭8・6・23)。
 「北海道アイヌ手工芸品展覧会」は昭和十一年八月と十二年五月にも開催されたが、主催者は北海道庁ではなく財団法人北海道社会事業協会であった(北海道社会事業 第五一号)。