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日雇労働者

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 表3の札幌の職業別人口の職業分類で、その他の有業者に分類される人びとは見逃しにできない数字である。大正九年、昭和五年ともに有業人口の六・五パーセントを占めている。大正十四年の国勢調査では、全国的に失業者の増加を見たことからはじめて失業統計がとられ、この時札幌市および付近を含めた地域の有業調査人口二万八六一〇人に対し、日雇労働者三一一六人と、全有業人口の一〇・九パーセントに値した。しかも俸給生活者、一般労働者の失業率がそれぞれ四・五八パーセント、二・一二パーセントに対し、日雇労働者のそれは四・四パーセントと、俸給生活者につぐものであった(内閣統計局 失業統計調査報告 大14)。
 第一次世界大戦後の深刻な世界不況のあおりを受けて、大量の慢性的失業者群が巷に溢れ、恒常的日雇労働者のうえに、財界の不況により会社、工場等の事業縮少、操業短縮、従業員解雇等が加わり、国、道による失業対策事業が昭和六年から本格的に実施される(後述)。
 日雇労働者は表6でみたように、大正十三年の場合、一日の賃金は男性一円三〇銭、女性七〇銭(札幌市統計一班)で、一カ月収入男性三二円、女性一七円くらいではなかろうか。日雇労働者の職種も第二節で述べるように、逓信・電話地下線工事、下水工事、建築人夫、工場雑役、道路改良、砕石、砂利採取、河川改修などで「出面取り」とも呼ばれていた。