昭和二年三月三十一日、政府は「公益質屋法」を制定してはじめて法的根拠を示した(昭2・8・1施行)。札幌の場合大正十一年段階に、助川貞二郎が「公益質舗」の名称で南三条西七丁目に開業したのがその前身とされる。その場合、営利質屋に比べ金利もかなり低廉であったようである(北タイ 大11・10・22)。
「公益質屋法」にもとづいて北海道庁も準備段階に入り、この結果、各地で設置が進められた。札幌市は、昭和三年段階で営利質屋が六二店舗におよび、庶民金融として貸出口、貸出額においてもますます増加の一途をたどる状況となっていた。
四年四月一日、「札幌市公益質屋条例」が内務・大蔵大臣の認可を得、十月一日大通東三丁目の札幌市立職業紹介所の隣に開業した(札幌市事務報告)。この年道内で開設済み八カ所、開設予定は二六カ所におよんだ。
写真-10 札幌市公益質屋 昭和4年10月1日開業(北タイ 昭4.10.1)
札幌市公益質屋の場合、開業間もない頃は労働者と俸給生活者の利用が多かったが、開業から一年後の五年十一月中の利用者は、労働者一五一人、俸給生活者一八四人、小工業者七八人、農業一人、小商人二五九人、漁業四人、その他二〇人、計八八六人という具合に、労働者・俸給生活者よりも小商人の利用が目立って増加した。質物種類も衣類がもっとも多く、装身具、債権、家具の順であり、不況期の庶民金融の特色をよく示している(北タイ 昭5・12・3)。
昭和十二年の日中戦争以降の利用状況をみると、平均して労働者がもっとも多く三五パーセント台を維持し(北タイ 昭17・11・25)、これは全国平均とほぼ同じ数を示したことになる。