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公益質屋

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 大正十一年八月、北海道庁吏員中山猛郎は新聞に「公設質舗に就て」(北タイ 大11・8・2)を寄せ、公設質舖が細民にとって唯一の金融機関となっている現状からみて、私営に一任しないで公益にすべきと述べた。当時札幌市内の質屋は四六店舗であり、大半が庶民金融の機関としてなくてはならない存在であった。しかし、金利も高いなど社会不安の高まりとともに、質屋の「公共施設」化が真剣に論議されはじめた。
 昭和二年三月三十一日、政府は「公益質屋法」を制定してはじめて法的根拠を示した(昭2・8・1施行)。札幌の場合大正十一年段階に、助川貞二郎が「公益質舗」の名称で南三条西七丁目に開業したのがその前身とされる。その場合、営利質屋に比べ金利もかなり低廉であったようである(北タイ 大11・10・22)。
 「公益質屋法」にもとづいて北海道庁も準備段階に入り、この結果、各地で設置が進められた。札幌市は、昭和三年段階で営利質屋が六二店舗におよび、庶民金融として貸出口、貸出額においてもますます増加の一途をたどる状況となっていた。
 四年四月一日、「札幌市公益質屋条例」が内務・大蔵大臣の認可を得、十月一日大通東三丁目の札幌市立職業紹介所の隣に開業した(札幌市事務報告)。この年道内で開設済み八カ所、開設予定は二六カ所におよんだ。

写真-10 札幌市公益質屋 昭和4年10月1日開業(北タイ 昭4.10.1)

 札幌市公益質屋の場合、開業間もない頃は労働者と俸給生活者の利用が多かったが、開業から一年後の五年十一月中の利用者は、労働者一五一人、俸給生活者一八四人、小工業者七八人、農業一人、小商人二五九人、漁業四人、その他二〇人、計八八六人という具合に、労働者・俸給生活者よりも小商人の利用が目立って増加した。質物種類も衣類がもっとも多く、装身具、債権、家具の順であり、不況期の庶民金融の特色をよく示している(北タイ 昭5・12・3)。
 昭和十二年の日中戦争以降の利用状況をみると、平均して労働者がもっとも多く三五パーセント台を維持し(北タイ 昭17・11・25)、これは全国平均とほぼ同じ数を示したことになる。