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戦時下の保健衛生

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 昭和十五年三月、札幌市に公区制を施行するのにともなって、それまで地域の衛生を一手に引受けてきた衛生組合(後述)は、同年十一月二十日道庁令をもって解散、聯合公区衛生(のち健民)部に引き継がれた。そして十五年以降、「健康報国」「健康運動」がいよいよ活発化した。まず十五年四月国民体力法が、同年九月には同関係法令が公布された。これを受けて十五年十二月から翌年一月にかけて、人的資源の確保と国民の体位向上をはかる目的で、一七歳~二〇歳未満男子を対象に、第一回国民体力検査を実施した(札幌市事務報告、第二回からは一六歳も対象)。それは十八年に入ると、厚生省から「体力手帳」の交付を受け、男女ともに一歳から男子は二六歳まで、女子は二〇歳まで必ず所持し、国民体力検査、徴兵検査の際に提示する義務にかわった(道新 昭18・2・10)。ラジオ体操、健歩会など、「強い市民」づくりがすすめられる一方、戦局が悪化するにしたがって食糧も枯渇し、欠食児童、栄養不良児童が多くみられるようになった。このため、牛乳と乾パンの給食の実施を試みたが、入手困難となり休止状態となった(道新 昭18・7・6)。各公区では、街の「健民」部隊として、「聖戦完遂」を合言葉に日々の「錬成」に励むのだった。