事実、この時期を境にして、北海道のマス・メディアのなかでも「少年職業戦士指導大会」(樽新 昭13・11・6)、「職場の一ヶ月を語る/札幌で少年戦士座談会」(北タイ 昭14・5・31)、「小戦士よ来たれ/然らば適職を」(北タイ 昭14・6・3)などの新聞見出しが示すように、少年少女の就職者を「戦士」の一員として位置づけ、その存在を際立たせる報道が目立ちはじめた。
もとより、こうした少年少女に対する「少年職業戦士」認識はマス・メディアの世界だけではなく、教育現場にも確実に浸透していた。十四年に札幌市第二高等小学校訓導・橋本正は「近年少年の職業指導に関する社会一般の関心の極めて大なるものあるを見、職業戦士として社会へ乗出す少年のため誠に喜ばし」いとしたうえで、同校の「職業指導」の方針をこのように述べている。「時代に即応した『有為有能な職業人の養成』を目標とし夫々職業指導案を確立し彼等少年戦士の爲、各教科を通じ、職業観念の啓発、職業態度の養成、職業技能の錬磨、職業知識の啓培等に務め」ている(橋本 児童職業実習)。
写真-9 第二高等学校の職業実習(昭10)
同じ時期、札幌職業紹介所技師で、教職経験がある西村貫一は「職業指導の危機」と題する論説のなかで、軍需工場に志願した児童が面接に際して、「先生が此の工場は賃銀が五銭ほど高いから行けとすゝめられたから来ました」と回答した事例を取り上げながら、小学校での「職業指導」が形式に流れ、「国家が今何を要求してゐるか、職業は如何なるものであるかゞ培」われず、また、「業務報国の精神は与へてないのではあるまいか」として、その現状への危機感を表明した(北海道教育 第二五一号)。そして、小学校での「職業指導」の実践は、「わたしたちの手によって少くとも職業は国の宝であること、天皇陛下の御鴻恩に報ひ奉るところの皇国の道を行ずるものであることを自覚させ、利己を離れた国家的なものであることを知らせる」ことを目標として取り組む重要性を指摘した(同前)。この橋本の言説から明らかなように、小学校卒業者の就職という行為が自己実現としてではなく、「皇国の道」に即した「国家」に対する「職域奉公」へと収斂されていった。