ビューア該当ページ

政令指定都市へ向けて

18 ~ 19 / 1021ページ
 札幌市の戦後史、特に本巻が対象とする政令指定都市以前は、即北海道の戦後史に等しい。三十年代後半の国の政策を直接に受けたエネルギー革命による炭鉱の閉山、農業政策の転換や漁業における二〇〇カイリ問題等によって、郡部・農漁村部から都市部への人口移動がおこり、北海道における中心都市・札幌市においてもそれに呼応した対策が行われた。三十九年、人口が七〇万人を突破し、札幌市を含む道央地区が新産業都市に指定され、都市化の進展に対応して、団地造成、区画整理や都心部の都市再開発が進んだ。
 四十年代は、札幌生活圏の拡大により、周辺市町をベッドタウン化しながらも、四十五年には「百万都市」の仲間入りを果たした。それより先の四十一年、長年にわたって立候補を続けてきた冬季オリンピック大会の開催が札幌市に決定し、競技場施設建設と並行して、種々の関連事業が施行された。市役所新庁舎、都心部地域暖房、地下街、北海道厚生年金会館などが相次いで完成し、なかでも、四十六年十二月に開通した地下鉄南北線は市民生活を大きく変え、オリンピックを目指した民間資本による建設ラッシュと相まって都心部の様相を一変させた。続く四十七年二月、札幌市で開催された冬季オリンピック大会は、世界各国から人が集まり、札幌市の名を世界中に広めるとともに、国際都市の仲間入りを果たした。こうして、冬季オリンピックを境に、名実ともに「都市としての風貌」を新たにし、同年四月一日、川崎、福岡両市と並んで政令指定都市へ移行した。