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キャンプ・クロフォードの建設

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 昭和二十一年七月十七日付の『北海道新聞』に、「札幌郊外にアメリカ村生る」という記事が載る。真駒内のキャンプ・クロフォードの建設である。占領軍の強い意向のもと、日本側の月寒などの代替案を蹴って、五月、元道立種畜場が接収された。「駐留軍の真駒内占領を知ったとき、あらゆる流言ひ語がとび、住民の不安と驚きは大変だった。種畜場内の「人畜すべて即時退去」という進駐軍命令である。住民はただぼう然自失するよりほかなかった」(郷土史真駒内)という状況がおそったのである。
 占領軍は、日本人の労働力とアメリカの最新の機械力を総動員して兵舎・学校・住宅の建設という突貫工事にかかった。約五九〇万平方メートルの用地に兵舎三三〇棟、約四六万平方メートルの用地に家族用住宅二二一〇戸の建物を建設する計画であった。
 九月七日付の『北海道新聞』には「網の目の自動車道路 出現する電柱のない街」という見出しで、「来年四月完成した暁には洗練された住宅、美しい庭園とともにアメリカ本国そのままに高度の文化生活により日本の家庭社会生活に大きな模範となるであらう」と報じられた。冬季も突貫工事がおこなわれ、一年二カ月の短期間で、二十二年七月に完成した。
 ゴルフ場やスキー場も設置された。

写真-3 キャンプ・クロフォードPX
(現方面音楽隊練習所 1947.5.16)