ビューア該当ページ

政党の結成

41 ~ 42 / 1021ページ
 昭和二十年十月四日、連合国総司令部は治安維持法撤廃、政治犯釈放などを命じた人権指令「政治、信教並びに民権の自由拘束諸法規即時撤廃指令」を発した。これにより、十月から十一月にかけて国防保安法、治安維持法、治安警察法などが次々と廃止され、政治活動の自由が保障されることとなった。同時に戦前政治犯が次々と釈放された。十一月に日本社会党、日本自由党、日本進歩党が相次いで結成され、日本共産党も直ちに再建に着手し、公然とした活動を開始した(以下、本章の全国的な政治史の記述については、主に歴史科学協議会 日本現代史による)。
 中央での政党の結成に並行して北海道でも政党支部が結成され、政治活動が再開されていった。戦後いち早く政党結成の動きを見せたのは戦前無産政党系の活動家たちであった。十月に社会主義政党結成のため、木下源吾鈴木源重寺島親蔵渡辺惣蔵ら一五人が結党準備大会を開催した。翌月二日には中央創成小学校で初の演説会を開いた。中央での社会党結成後、札幌支部が十二月一日に結成され(支部長渡辺惣蔵、書記長寺島親蔵)、同月五日には札幌市に北海道支部連合会が発足した(執行委員長木下源吾、書記長渡辺惣蔵)(日本社会党北海道本部 北の大地とともに)。
 日本共産党は、二十年十月七日に釈放された山名正実・村上由・武内清・廣谷俊二らが中心になって、十一月十一日に党再建準備会を作った。同準備会は、翌月一日に開催された全国党大会の終了後、北海道地方委員会を構成することとなった。同委員会は、十二月八日、中央創成小学校で戦争犯罪究明を主題に初の公開演説会を開催し、会場は多数の婦人を含む二〇〇〇人余りの聴衆によって埋められた(道新 昭20・12・9)。
 十二月十七日には日本自由党北海道支部が結成された。食糧燃料衣料問題の解決、北海道庁長官の公選、戦災者援護、生活必需品統制機構撤廃などを緊急対策として決定している(道新 昭20・12・18)。
 十二月十八日、東京で日本協同党が結成され、北海道から黒沢酉蔵らが参加した。同党は、農村を基盤にした協同組合主義を掲げた(道新 昭20・12・18、12・19)。同月二十八日に、日本協同党北海道支部が発足した。綱領は、「皇統を護持し一君万民の本義に基く、民主政治体制の確立を期す」、「勤労、自主、相愛を基調とする協同組合主義に依り産業、経済、文化を再建し民主的新生日本の建設を期す」というものであった(道新 昭20・12・29)。
 また二十一年一月には、北海道政治同盟が結成された。理事長は地崎宇三郎で、道議二八人を糾合した。綱領は、政治経済の民主化、北海道の合理的開発、北海道庁長官の公選、国民の文化水準の向上を掲げている(道新 昭21・1・14)。北海道政治同盟は北海道に基盤をおく地方政党であったが、後に、中心にあった地崎と椎熊三郎が脱退して、日本進歩党に参加したため解散される。