上原市長は、昭和二十一年十一月十二日に退任する。同年一月にGHQの指示によって公職追放令が出された。上原はこの第一次公職追放の直接該当者ではなかったが、その後、降伏文書調印の九月二日以前から市町村長であったものは引き続き同一職場にあって支配力を及ぼしてはならないとの間接的な追放令が出され、追放の範囲が地方の公職・政界へと拡大されたため、その追放令の実施前に自ら退任したのである(六期小史)。上原の市長在任期間は一年三カ月であった。
これによって、助役の原田與作が市長代理となった。原田は、上原が東京市に勤務していたときの部下であり、上原の札幌市長就任後、財政課長として呼ばれた。平佐武美助役の任期中途退任にともなって二十一年五月二十四日には助役に選任されていた。原田は翌年四月の公選市長の誕生までの繫(つな)ぎ役として約五カ月間、市長代理を務めた。